名鉄竹鼻線・羽島線乗車記

本日の名鉄乗りつぶし旅行の最後は、竹鼻・羽島線。乗車するのは笠松17:55発の新羽島行。15分間隔での運転で、終点新羽島までの所要時間は22分。車両は3100系の2連です。

夕方のラッシュ時間ですので、そこそこ混雑していまして、運転室後ろに立ちます。それでは出発。

すぐに西笠松で、ここで交換。6500系だ。

築堤を上がります。この辺で交差する鉄道路線はありましたっけ?地図を確認しましたが、単に道路を跨ぐ目的で造られたようです。

南宿で交換。また6500系だ。

昔は側線があったみたいな棒線駅は竹鼻駅。帰って調べてみれば、竹鼻鉄道が1921年にこの路線を開業した時は、ここが終着駅だったとのこと。

羽島市役所前、今度は6800系と交換。15分間隔での運転のため、全ての交換可能駅で交換するようです。

ここでも高架に上がります。跨ぐのは幹線道路。

江吉良駅に到着、ここが竹鼻線と羽島線の分岐駅だったところですが、1面1線の駅だったんだ。

ホームを出て直進していたのが2001年に廃止されてしまった竹鼻線末端部で、この先大須まで7.7km延びていました。

電車は右に折れて羽島線に入ります。1982年に開通した1区間1.3kmのミニ路線です。高架を上がると前方に伊吹山、いい景色です。

左手から新幹線が近づいて、岐阜羽島駅が見えて来ました。

新幹線と名鉄の間にあって、通る度に気になってるホテルを間近で見て、

18:17、終点新羽島に到着。

ワンマン車ではないので、運転手さんと車掌さんが交代するシーンが15分ごとに展開されます。

外に出ます。2007年から無人駅とのこと。ここ新羽島から岐阜までは、笠松で乗換えがあって約30分で440円。
岐阜の人にとっては、名古屋までJRの新快速で20分で470円なので、新幹線駅へのアクセス線としては話になりません。しかし、もしも東海道新幹線と同時期に開業していたら、名鉄竹鼻・羽島線にも、ちょっとは輝いた時代があったかもしれません。1970年代前半の時刻表を引張り出してみれば、当時の東海道新幹線は、ひかり・こだまがほぼ同本数で、国鉄東海道本線の名古屋岐阜間は昼間は1時間に1本しか普通列車が走っていませんでした。でも竹鼻線に乗るなら、やっぱり同じ名鉄で名古屋に行っちゃうのかな。

全景です。この駅で印象に残ってるのが、雪でスリップして停まることが出来ず、車止めを壊し、あわや高架から落ちそうになった衝突事故の写真。2002年の事だったそうで、もう20年になるのか。今は、エレベーターシャフトが出来たので、停まらなくても高架から落ちることはなさそう。

新幹線の岐阜羽島駅も見に行ってみます。東海道新幹線の開業時からある駅で、私が唯一、未だ乗り降りしたことがなかった駅が、この岐阜羽島駅。

次の東京行ひかりは19:15発か。でも今日は帰らなくていい日、ちょっと嬉しい。
予定では岐阜羽島から本日の宿泊地の大垣まで、路線バスで移動する予定でしたが(僅か26分、550円で着く)、やっぱり時間が掛かりますが、寄り道しながら鉄道で向かうことにします。

次に来た笠松行は6500系。

ホームに収まります。

新羽島駅ホームから新幹線を撮ると、こんな感じ。
* * *

名鉄岐阜駅に到着した、笠松から乗車した特急。3100系の新塗装車は、横から見ると、頭と骨だけになった焼魚みたいだな。

そして各務原線ホーム。地上ホームで独特な雰囲気があって好き。

JR駅前に鎮座する名車、モ510形。1990年代前半に岐阜駅前を走っているところを写真に収めているのですが、乗らなかったことを激しく後悔しています。もう少しライトの当て方を考えればいいのにな。JR快速で大垣へ向かいます。
大垣の宿泊地は北口から5分ほど歩いた所のホテル。この時はコロナが一段落?して、ホテル旅館が県民割を実施していたため、週末の岐阜県のホテルはどこも満室。予約サイトを小まめにチェックして、やっと確保できた一室です。大垣に泊まる時は、トレインビューが素晴らしい養老鉄道の駅の隣のホテルにと決めていたのですが、叶いませんでした。夕食は駅ビルのサイゼリヤで済ませました。
(乗車は2022年8月)
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しばらく更新お休みします。