越美北線乗車記

6月中旬平日の福井日帰り旅行の午後は、一番の目的である越美北線に乗車します。
この年(2021年)の5月、JR西日本より、コロナの影響にもよる厳しい経営環境を理由に、ローカル線の運転本数削減の方針が発表されました。その中で越美北線末端部の、越前大野から九頭竜湖までは、なんと10月から全列車運休!(事実上廃線では…)を検討しているとのことで、慌てて乗りに来た次第であります。
(その後の7月末、越美北線の運転本数削減は、福井越前大野間で1往復半のみ減便との発表がされ、末端部のしばらくの存続が決まりました。)
長くなるので目次付けます。
福井~越前花堂、北陸本線を爆走
越前花堂~越前大野、足羽川沿いに大野を目指す
越前大野~九頭竜湖、乗客ほぼゼロ、最後は長大トンネル
土砂降りの九頭竜湖駅、12分で引き返し
帰路で気付いた点
おまけ、1986年の越美線連絡時刻表
もしも越美線が開通していたら
福井~越前花堂、北陸本線を爆走

それにしても、タラコ色キハ120というのも魅力的だなぁ。国鉄末期の時代は、みんな嫌っていた色なんですが…、時代が変われば価値観も変わるのです。
そして福井12:50発の九頭竜湖行は、座席の半数が埋まるくらいの混雑でして、けっこう乗っているではありませんか。私のように慌てて乗りに来た鉄道オタクが一杯いるかと思いきや、首にカメラ2台を下げてボックスシートに座る一人のおじさん以外は、みんな地元の人みたいです。

そんなところで座席には目もくれず、トイレの前の、かぶりつき(立)席を確保。このまま九頭竜湖までここにいようか。それでは出発します。

ポイントを渡り左へ左へと転線、年をとってもワクワクするシーンです。

そして本線に入れば一気に加速です。足羽川を渡ります。

力強いエンジン音に、バスのような折れ戸のガラス窓の下の方から、隣の線路のバラストが流れる様子が見えて疾走感はMax、仕切りのない運転台から聞こえる、ハンドルを操作する音が緊張感を増します。これぞキハ120の本気の走り、痺れます。かつて宮脇俊三さんを乗車km数の計算で悩ませた、貨物駅ながら国鉄時代の越美北線の起点であった南福井駅を通過します。

北陸本線の越前花堂駅が見えてきたところで、手前のこのポイントを左に進み越美北線に入ります、北陸新幹線の高架の下を潜ると、

一気にローカル線の風景に様変わりし、カーブした越美北線越前花堂駅の単線ホームに着きます。ここがJR化後の越美北線の起点で、花堂は「はなんどう」と読みます、来るまで「かどう」だと思ってました。
越前花堂~越前大野、足羽川沿いに大野を目指す

越美北線を進みます。写真は六条を出てからの直線で、越美=越前と美濃、岐阜県まで突き抜けてやろうという意思を感じます。それと1960年開業と、割と新しい路線ですので、意外とスピードを出します。

昔は交換駅だった越前東郷に到着。ここから先は2004年の水害で、足羽川に架かる橋が7本中5本も流失してしまうという大きな被害に遭い、3年間も不通だった区間になります。

一乗谷を出て足羽川を何度も渡ります。川の中に入って釣りをする人がちらほら見られます。釣りには詳しくないのですが、もしかして今は鮎釣りの季節なのでしょうか。写真は第三足羽川橋梁。

こういう場所は徐行して進みます。左に見えるのは第六足羽川橋梁。川岸に「おとり」と書かれたのぼりが立ってましたので、鮎釣りみたいです。

7番目で最後の足羽川橋梁。立派なのに架け替えられました。Wikipediaによると5本の橋梁復旧に34億円かけたとのこと。割振りは国が20億、福井県が10億、JR西日本が4億、大きい金額ですので、それに見合った利用がされてほしい。

落石避け?そして25㎞/h制限。

越前花堂から17.5㎞、時間にして27分も走って、初めての交換駅が現われます。美山駅です。ここからは山越え区間になります。

分水嶺は計石~牛ケ原間にあり、短いトンネルを抜けると、撮り鉄さんが2名いて、ジェットコースターのような坂道を下ります。そして視界が広がって大野盆地に入ります。右手の山の上に越前大野城(日本三大天空の城とのこと)が見えます。

北大野を出ると平坦な土地にある盛土の上を登って行きます。何のための盛土? そうか、京福電鉄を跨いでいた跡か、きっとここだと思う。そして越前大野はこんなに大きい街だったのか(調べたら人口3万人)。ここへは福井から越美北線と京福電鉄の2本の路線があって、1974年に歴史がある方の京福側が廃止されてしまったのですが、大野の人にとって、今となっては、後にえちぜん鉄道に化ける京福側を残しておいた方が良かったかもしれません。30分或いは1時間間隔の電車の他、週末にはアテンダント添乗の観光列車も走っていたかもしれません。もっとも当時は1972年に九頭竜湖まで延伸したばかりの越美北線を廃止にするなんて、絶対に出来なかったわけですが。

越前大野駅に入ります。

ホームにはスタフを持った職員さんが立っています。
福井を出て55分、13:45に越前大野に到着。ここでほとんどの乗客が降りてしまいます。後ろを見て残った乗客を数えてみると3名でした。
越前大野~九頭竜湖、乗客ほぼゼロ、最後は長大トンネル
4名の乗客を乗せて、全列車運休案の出た越美北線末端部を進みます。JRで2路線となってしまったスタフ閉塞区間でもあります。(もう一つは名松線でその時の乗客は私一人でした。)

九頭竜川…、かと思いましたが違ってまして支流の真名川。

ここからも1960年に最初に開通した区間ですが、大野から先は乗客減少、編成短くを見越してかホームの長さが極端に短くなります。写真は越前富田駅。

雨の日にはトトロが出てきそうな下唯野駅。ここもホームが短い。待合室の中には雪かき用のスコップが置かれてました。

今度こそ渡るのが九頭竜川です。越美北線は九頭竜線の愛称があるのですが、越前大野から先が全列車運休になってしまったら、この愛称は返上でしょうか。

ここからは山間部で、ダムが見えてきました。

深い森の中で、美濃までの道のりは険しいです。赤い鉄橋でもう一度九頭竜川を渡ります。雲行きが怪しくなって雨が降ってきました。

勝原駅に到着します。「かつはら」でなく「かどはら」と読むのを知ったのは帰ってブログを書いてる時になります。ここは1960年に越美北線が開通した時の終着駅で、この先は1972年の延伸区間になります。雨に濡れるログハウス風の駅舎で、降りる人も乗る人もゼロ…、

かつての機回し線だった跡地には一面に白い花が咲き、神様でも出てきそうな神秘的な光景です。そう、この雰囲気で思い出すのは只見線の大白川駅だ。昔は終着駅で、1970年代以降に難工事で延伸した区間が始まる駅というのは、共通した何かがあるみたいです。他に思いつくのは、比立内、新藤原、口羽…、神様がいそうではありませんか。
さぁ出発、雨が大粒になってきました。この先線路は大丈夫でしょうか…、全然心配ありません。駅を出たら長大トンネルで、スピードを出して突き抜けます。

トンネル内で減速し越前下山が見えてきました。凄い雨です。ホームが天ぷらを揚げてる鍋みたいになってます。ここは秘境駅として有名らしい。九頭竜川を高い鉄橋で渡って、再びトンネルに入ります。

トンネルを出て九頭竜湖の集落が見えてきました。激しい雨の中を進みます。

福井を出て約1時間半、14:22に九頭竜湖駅に着きます。越美北線52.5㎞の乗りつぶしが完了です。
土砂降りの九頭竜湖駅、12分で引き返し

九頭竜湖駅まで乗り通した4名の乗客の内訳は、おじいさん、年配の女性、首にカメラ2台の鉄道ファン、私の4名。


折畳み傘(持ってきておいてよかった)をさして外に出ます。駅前には恐竜が2頭いて時折ギャーと鳴いて動いてます。ここには道の駅が併設され、福井のグルメが楽しめるんだそうですが、滞在時間が12分しかありませんのでどうにもできません。次の列車は4時間後で、その日のうちに東京に帰れないし、前の列車も3時間半前で朝東京を出て間に合いません。急いで駅周辺を回ります。


越美北線の線路が途切れるところ。引上げ線が2本、作られた時代が違うからか車止めも2種類。

九頭竜湖駅で来たかった場所はここ、駅舎の反対側です。ここでは数少ない鋼製車体のキハ120とゆっくり語らいの時間が欲しかった。雨が激しく、背中のリュックはびしょ濡れ、手元のカメラも濡れて壊れそう、そして体も冷えて寒気がしてきた。数枚写真を撮って戻ります。今ここで風邪でもひいて、熱が出たら大変です。福井か金沢に戻ったら温かいそばでも食べよう。

駅に戻って来ました。ここへは、越美北線がフリーエリアに含まれる、大人の休日北陸フリー切符を利用して来ました。帰りは記念(と、ささやかな売上貢献)に福井までの乗車券を買って乗るつもりでいたのですが、すっかり忘れてしまいました。いい大人になりながらも、越美北線で何も経済活動が出来なくて申し訳ない。
福井に戻る乗客は私の他に2名。カメラ2台の鉄道ファンと、地元の人だと思っていた年配の女性で、スマホで駅の写真を撮っています。越前大野の先のまともな乗客は、下りのおじいさん一人だったのか。これならデマンドタクシーで充分です。
帰路で気付いた点
帰りはボックスシートに座ります。激しい雨が続く中で出発します。なんか右袖当たりが冷たいぞと見れば、

窓の隙間から雨水が侵入して撥ねていたのでした。
心配なのは九頭竜川、これだけ上流に雨が降って大丈夫か。越前下山手前で、どれだけ増水してるか注視しましたが、水がちょっと濁ったぐらいで、さっきと全然変わりません。雨が降るのが森で、上流にダムもありますので、長期間降らない限り大丈夫なのでしょう。これが都内の神田川や妙正寺川だと一気に増水しています。
勝原を過ぎて雨が止み、大野の里に下りてくれば晴れで、すっかり天気が回復、その場所の往路の天気がそのまま維持されています。越前富田を出て右手に見える小学校では、デッキブラシでプールを清掃中の児童達が手を振ってくれました。映画のような美しい光景でした。
越前大野に着いて、初めて地元の人の乗車があり、乗客が10名程度に増えます。私はボックスシートからロングシートに移ります。
やっぱり越前大野から先の末端部は、朝夕どれぐらいの乗客がいるのか見ていないですが、全列車運休、そして廃止でも仕方ないかな。長大トンネルや鉄橋で、莫大な建設費だっただろう勝原から先が勿体ないですが、半世紀も列車を通わせたのだから、充分役目を果たしたと考えてもよいでしょう。

美山で交換。同じタラコ色キハ120ですが、越前大野のPRをするラッピング車でした。

そろそろ越前花堂というところ、キハ120はバス風ドアから見える風景がいいんだな。
越前花堂から福井までは最前部に立って見ます。本線をかっ飛ばすのを期待し、動画で撮影してみたのですが、往路ほどスピードは出さず、ちょっと残念。

16:03、福井に到着。折返し16:50九頭竜湖行を待つ学生さんが、もう並んでます。

反対ホームからキハ120の写真を撮ろうとしたのですが、行くと引上げ線に引き上げてしまいました。そこへEF510の牽く貨物列車が通過します。さて東京に帰ります、福井駅西口で福井電鉄フクラムを見て、ガラガラのサンダーバードで金沢へ、金沢で白山そばを食べて、かがやきに乗車。4月の五能線に続き、有効期限4日間のフリー切符を持ちながら、日帰りで帰るなんて勿体ないですが、仕方ありません。
おまけ、1986年の越美線連絡時刻表
帰ってから国鉄時代の越美北線のダイヤはどんなだったか気になり、昔の時刻表を引張り出してみます。出したのは1986年11月号。
下り(※は休日運休)
福井発 | 東郷着 | 大野着 | 九頭着 | 備考 |
5:49 | 6:04 | 6:50 | 7:35 | |
6:32 | 6:59 | 7:51 | ※ | |
7:09 | 7:19 | ※ | ||
9:38 | 9:54 | 10:37 | ||
12:37 | 13:07 | 13:51 | 14:27 | |
14:58 | 15:13 | 16:00 | ||
16:25 | 16:40 | 17:25 | 18:04 | |
17:42 | 17:57 | 18:43 | ||
18:44 | 18:59 | 19:44 | 20:22 | |
21:07 | 21:21 | 22:05 |
上り(※は休日運休)
九頭発 | 勝原発 | 大野発 | 東郷発 | 福井着 | 備考 |
6:00 | 6:48 | 7:02 | |||
7:24 | 7:36 | ※ | |||
6:26 | 6:59 | 7:44 | 7:58 | ||
7:40 | 7:52 | 8:19 | 9:02 | 9:17 | |
10:58 | 11:38 | 11:52 | |||
14:36 | 14:48 | 15:07 | 15:54 | 16:10 | |
16:34 | 17:20 | 17:33 | |||
18:08 | 18:20 | 18:54 | 19:40 | 19:53 | |
20:27 | 20:39 | 20:56 |
なんと、今とほぼ同じではありませんか。国鉄時代から全く進歩していないと見るか、国鉄時代の本数を今も維持していると見るか、人によって判断が分かれるところです。私は後者かな。乗りつぶしの旅行者にとっては、九頭竜湖での滞在時間は今よりも短いのが難点。これは私のような乗客が、駅のトイレに行けないぞと、改善されたのかもしれません。(キハ120のデビュー時はトイレがありませんでした)
そうだ!国鉄時代には越美南線に抜けられるバスが存在していたので、九頭竜湖で折返す行程なんて組まなくて良いのだ。早速後ろのバスのページを開いてみると、
九頭竜湖駅 | 美濃白鳥駅 |
11:04 | 12:02 |
14:05 | 15:03 |
美濃白鳥駅 | 九頭竜湖駅 |
13:02 | 13:55 |
16:31 | 17:24 |
酷い…酷すぎる、同じ国鉄が運行しているとは思えない、悪意を感じるほどの接続の悪さです。越前→美濃に抜けるには福井5:49の始発に乗るしかないのか。唯一冬でも明るい時間に南北両線乗りつぶしで来そうな、美濃白鳥13:02のバスに乗るにも、越美南線を全線乗りつぶすには北濃まで一回行かなくてはならないので、美濃太田8:24発→北濃10:28着/10:36発→美濃白鳥10:46着/13:02発→九頭竜湖13:55着/14:36発→福井16:10着という行程になります。
もしも越美線が開通していたら
最後に、もしも越美線が無事に開通していたら、今頃はどんな路線になっていたでしょう。
特急しらさぎルートの、名古屋→岐阜→米原→福井が、全線複線電化の179㎞で、681/683系電車が2時間10分前後で走り抜けるのに対し、越美線ルートは、名古屋→岐阜→美濃太田→北濃で129.7㎞、北濃→九頭竜湖の直線距離で15.4㎞、九頭竜湖→福井が52.5kmで合計197.6km、ほぼ単線非電化で所要時間は比べるまでもありません。結局は只見線や廃止されてしまった三江線のような、盲腸線ではないものの極端に列車本数の少ない路線になっていたのでしょうか。
もしも国鉄時代、九頭竜湖延伸の翌年の1973年あたりに開通していたら、優等列車が多かれ少なかれ運転されていたはずです。名古屋から4,5本、大阪からは1本(岐阜で名古屋発に併結)、ひょっとしたら名鉄神宮前からも1本運転されていたかもしれません。この優等列車が、郡上八万、九頭竜湖、越前大野への観光需要を生み出し、いずれJR東海とJR西日本に分断されそうな運命ですが、現在の高山本線のようにディーゼル特急が走る、立派な観光路線なっていた...と、私は思うのですが、どうでしょうか。
(乗車は2021年6月)
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