草津線乗車記
貴生川15:21→(5367M)→15:48草津

紀勢本線の津~亀山間に続き、この日3本目の乗りつぶし路線はJR草津線で、起点の柘植から乗車します。まずは柘植駅の駅舎ですが、こんな感じ。駅員さんは一応いますが、市街地は離れているようで駅前には何もありません。

駅舎のある1番線が関西本線加茂方面、中線を挟んで、島式ホームの2番線が関西本線亀山方面、3番線が草津線。地方の中規模駅の標準的過ぎるスタイルですが、1,2番線は、今は1両か2両のキハ120しか来ません。跨線橋は壁が板張りで渋いです。

3番線に停車中の柘植13:01発草津行に乗車します。抹茶色の113系4連です。115系でなく113系に乗るのは久しぶりかも。

こっちは後ろ側、前面窓がHゴム押さえのままなのは珍しいのかな?

草津線3番線の向こうに広がるヤードは、架線が張られ、線路も錆付いていないので、夜間に電車が停泊するのでしょうか。ここが貨車で賑わっていた時代もあったのかなぁ。
さて車内へ、転換クロスシートになった4両の電車はどこもガラガラですが、この人数を1両のキハ120に押し込んだら、満員になってしまうはず。モハの進行方向右側座席におさまります。
それでは出発、おっ!113系の音だ。すぐに関西本線と別れます。そして地図だとすぐに三重県から滋賀県に入るのですが、どこが県境なのか全然わかりません。途中からスピードが気持ち速くなったみたいなのがそうなのか。
棒線駅の油日、続いて2面2線の甲賀。駅の甲賀は「こうか」と読むのか。日本史を全く勉強しなかったので、忍者の里である伊賀も甲賀もよく分からなかったのですが、三重県にあり徳川側に付いたのが伊賀、滋賀県にあり豊臣側についたのが甲賀なんだそうだ。
またも棒線駅の寺庄、ここで数名乗車。淡々と走って2面2線の甲南。なんか面白みがないなぁ、よくある電化されたローカル線、関東でいえば水戸線みたいな感じ。何か発見はないかなぁ。

貴生川手前できれいな林があるので写真を撮っておこう。

そろそろ貴生川です、席を立ち、左側ドアに立ちますと、信楽高原鉄道の線路が見えてきました。いいタイミングでの写真を撮り逃してしまいましたが、一直線に山に向かって伸びていて、いい景色です。
13:19、貴生川に到着、一旦ここで下車します。その後は信楽高原鉄道に乗って信楽まで往復し、再び貴生川駅へ。

2時間後に乗る電車は、柘植から乗ったのと同じ編成みたいです。帰って写真を拡大すれば、先頭がクハ111-7759なので間違いなしです。隣のホームですれ違うのも2時間前と同じはず。
2時間前より混んでいて、向かい合わせになってしまった席に着席。写真は控えます。車窓はというと、やっぱりたいした新しい発見はなく、3時半だけど年末なので田んぼに映る電車の影が長いぐらい。甲西駅からは住宅地です。草津線は甲西、三雲、貴生川、駅名が上品だなぁ。石部では交換で少し停まるみたい。何が来るかな。221系でした。これも都落ちしてしまいました。石部から右に古そうな木造家屋、最後の途中駅の手原を出てしばらくして、新幹線の高架をくぐります。単線が2本に割れ、間に東海道線が入ります。

終点草津に到着です。
乗ってる時には何も発見がありませんでしたが、帰って記事を書くにあたり、改めて認識したことは二つ。
まずは草津線というのは旧東海道ルートにほぼ沿っていることで、亀山から草津までほぼ直線ながら、石部に宿場があって、歌川広重もちゃんと浮世絵を残している。石部宿の浮世絵は、豆腐田楽が名物だったという茶屋の前で、酔っ払った?男たちが踊り、それを女性たちが笑って見ているというもの。今でも繁華街で普通に展開されそうな光景で、日本人が集団になると、こういうことをやっちゃうのは昔からなんだな。
そして紀勢本線の津から亀山の記事を書くにあたって知ったとおり、伝説の?関西鉄道発祥の路線であること。本来なら草津が起点なのだ。Wikipediaの関西鉄道のページには、明治時代の柘植駅構内の写真が掲載されており、100年以上の歳月が経った今も、車両と架線と人物を除くと変化がほとんど無いのに驚きです。そういう歴史を感じ取れなかった自分は、乗り鉄としてまだまだ未熟かも。とりあえず113系にまったり乗れたので良かったと思うことにします。
(乗車は2019年12月)
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