阪堺電気軌道上町線の次は阪堺線に乗車し、恵美須町へ向かいます。

住吉停留所の安全地帯。路面電車に慣れていない者にとって、安全地帯で立って電車を待つというのは、ホームの白線の外側で電車を待つみたいで結構怖い。それに拍車をかけるのが、この停留所の表示板。電車が向かってくる方にあるので見通しが効かず、電車来るかなと顔を出せば、急に電車や車が現れて頭ゴツン(では絶対済まない!)となりそうで本当に怖いのだ。

向かってくる電車の写真は撮れませんが、去る電車の写真は撮れます。これは1本前に来た天王寺駅前行きの古い電車。
写真撮れませんでしたが私の乗る8:30発恵美須町行き電車が来ました。351系という古い吊り掛け電車です。到着しますと車外スピーカーで、この電車は天王寺方面には行きませんとの案内が繰り返しされます。車内に入りますと下車する客も多く、この時間帯というのにとても空いている。進行方向左側ですが一番前の座席に座れました。
元々、阪堺電気軌道の系統は、上町線の天王寺駅前~住吉公園、阪堺線の恵美須町~我孫子道・浜寺駅前で明確に分かれていたようです。しかしメインルートが両線を跨ぐ形の天王寺駅前~我孫子道・浜寺駅前となってから、上町線の住吉~住吉公園が廃止されてしまったのは周知の通り、残るもう一方の恵美須町~住吉間も2014年3月改正から極端に本数が少なり、ブログ記事を書いている2016年2月の住吉駅発で1時間あたり、朝8時と夕方18時台のみ4本、昼間は3本、早朝夜間は1~2本と、路面電車としては過疎路線、そう、親会社南海の汐見橋線みたいになってしまったのです。乗ってみてそれを早速実感させられました。(この二つの路線、歴史といい環境といい共通点がとても多いと思う。)
そんな一癖ある路線も、罪な事に旅行で乗る分にはとても楽しい。さぁ出発だ。

しばらくは併用軌道。そんなに道幅は広くなく実にいい感じ。きっと昔からこんな感じなんだろう、道路両側は新しいビルばかりですが古い民家も残っています、100年前の写真を持ち出しても、面影はここもあそこもとたくさん見つけられそうです。写真前方左側のトラックは路肩に駐車したいのですが、何度も私の乗ってる電車に警笛を鳴らされ前へ前へと急かされる。なんだか可哀想になってしまう。
併用軌道が終わると南海高野線の高架を潜ります。この高架橋の橋脚がレンガ積で「おお~」と声が出る程本当に歴史がありそう。そういえば上町線は南海高野線をオーバークロスしていたっけ。

専用軌道に入りますとこんな電車が迫ってきます。オレンジの雲電車だ。そう、私にとって阪堺電車(その頃は南海)のイメージはこれなのです。実にすばらしいデザインの塗装だと思います。これを私は南海時代の正式な塗装だと今までずっと思っていたのですが、立石電気(現オムロン)の商品名を出さないイメージ広告電車だったのであります。恥ずかしながらブロク書いてて知りました。さすがだなぁオムロン、一企業の広告がこれだけ鉄道会社のイメージアップに貢献した例はなかなかないでしょう。関係無いですが、私の家の体重体組成計はオムロン製です。

前方に勾配を上がるのが見えます。もう交差する路線は無いのではなかったっけ、もしや…、そのもしやです!私大興奮、これは南海天王寺支線の跡だ!まだこんな形で残っていたんだ。この線には本線から孤立化した後の天王寺~今池町だけ乗ったことあります。
2つの路線が平面交差する場合、後から建設される路線が上を跨ぐ法則だと、南海天王寺支線、阪堺阪堺線、南海高野線、阪堺上町線の順で出来たのだな、それぞれの路線の栄光と衰退、短時間でこんなに歴史を見て感じられる路線はなかなか無いぞ。阪堺電気軌道面白い!
(注)後で調べてみると、どっちが下だから古いと判断するのは大間違いで、この順番ではない。実際の歴史は電化や改軌や複線化も絡んでもっと複雑。しかしどの路線も最初の開業は1900~1911年で歴史がある事だけは間違いありません。
JRガード下の新今宮駅前で殆どの客が下り、最後の一区間は4,5人になって終点恵美須町に到着です。これが乗車しました電車のモ351形の352番、キンキラな広告の主はここ数年勢いに乗る貴金属買取屋さんの一社、これもそのうちに時代を象徴する写真になるのかもしれません。

ここも味わい深い駅なのだ。円形の番線標示はヨーロッパの駅にいるみたいな雰囲気を醸し出している。一方で写真右側のきらびやかな寺院風ホーム屋根はなんなんだ。

この色使い、上で細くなる柱、一見構造的には不要とも思える部材、近くの今宮戎神社を模してるのだろうか。関西の神社の事は全然わかりません。今宮戎神社で画像検索してみると建物よりも美しい女性の写真がたくさん出てきた。福むすめで有名な神社がここなんだ。
神社との関連性は見つけられませんでしたが、意匠的に非常に強い主張が見られます。そういえば帝塚山四丁目のホーム屋根も面白い組み方をしていた。住吉公園ホーム屋根の柱も古レールだが魅せる曲げ方だ。親会社南海も浜寺公園駅は極端過ぎますが、小さな古い駅舎も凝った設計が多かったような。初めて阪堺電車に乗った、南海にも今まで5回ぐらいしか乗ったことがない東京の鉄道オタクが言うと、知ったかぶったみたいで笑われてしまうかもしれませんが、昔の南海の駅の設計者は他とは違います。相当意匠に凝ってます。ライバル阪和電気鉄道と差をつけるため、こうモダンな感じを出すように命じられたのかもしれません。

ここは祭事の日に開かれ、木製のラッチも活躍するのでしょうか。

一見普通のシーサースクロッシング。これもよく見ると住吉公園にあった曲線状のに負けないぐらい凄いものではないでしょうか。中央のダイヤ(◇)が両側線路の内側にぴったり接している。なのでレールを*字状に組み上げないとならない。これは簡単な事なのだろうか、現在の職人さんの技術では再現不可能なくらい難しい事ではないかと思ったりもするのですが、分岐器の専門家がいたら聞いてみたい。そしてこのポイントも改修に数億円かかるので廃止しますなんて事にはならないで欲しい。(単線化単線化・・・)

鉄道模型をする人には堪らないだろう佇まいの昔の信号所。中自・停自・停扱って何だろう。これも信号の専門家がいたら聞いてみたい。

さぁ、僅か12分の滞在でしたが、乗ってきた電車で戻ります。乗客は私の他に2名だけ、進行方向右側最前席(かぶりつき席)に座ると、運転台機器にこんなに近く手が届いてしまいそう。

一駅乗って新今宮で下車。楽しかったです阪和電気軌道、住吉~浜寺駅前間を乗り残してますし、モ161形にも出合えなかったので早めに再訪したい。

それにしてもなんて荒涼とした停留場なのだ、新今宮駅前。朝食に用意しておいたコンビニのサンドイッチを深夜に食べてしまったのでとても空腹。安くてボリュームあるこの界隈ならではの飯屋でもないかと期待しますが、駅付近には見つけられず、すぐにJRに乗り換えます。

天王寺駅阪和線乗場、103系の低運転台車が並ぶなんて凄い光景なのだ。ここで遅い朝食かすうどんを食べ、快速電車で和歌山へ向かいます。昨夜はあまり寝ていないので、この間少し睡眠をとろうと思っていたのですが、阪和線は何度乗っても面白い。待避可能駅が多く、複線ながら完全なる優等列車優先ダイヤを組み上げている様は、阪和電気鉄道の遺伝子そのものだ。次々に現れる103系、峠越え区間を楽しみ、紀伊中ノ島駅の和歌山線跡も見届け、結局和歌山まで一睡も出来なかったのでした。
(乗車は2016年1月)
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