さよなら、JR青梅線東中神駅ホームの木造上屋と長ベンチ

私の地元、JR青梅線東中神駅の長い木造ベンチ、上り2番線側が橋上駅舎工事により、この日が最後。右側に張られた「お知らせ」ポスターの通り、翌5日にはベンチはすっかり取り払われてしまいました。


こちらの上屋も少しずつ解体され、11月末現在では仮設の屋根を支えるために利用されている柱だけしか残っていません。

何十年も毎日展開されてきました光景。走る電車は何代も世代交代しています。

ここには丸時計がありました。

誰だこんなシール貼ったのは、まぁ可愛いから許そう。

とにかく私も幼少期から何度もここに座って電車を待っていたのでした。最後に板材をスリスリしてお別れです。
(ちなみに下りホームの長ベンチは保存され、2023年現在も残っています。)
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さて、ここ最近は電車をわざと1本見送って、いろいろと観察して別れを惜しんでいたのですが、面白い発見もありましたのでちょっと書いてみます。
まずはこの木造上屋と長ベンチはいつ建てられたのか。2番線の最も立川寄りの柱にこんなプレートが貼ってあります。

建物財産標 昭和5年7月30日
ここで一つの疑問があります、そんなに古いのか?
これは他のHP等(例えばここ)でも書かれているのですが、昭和5年だと駅の開業年より前に建てられたことになってしまうのです。JR東日本八王子支社HPの青梅線の歴史によると、東中神駅の開業は青梅電気鉄道時代の昭和17年7月1日、この区間である立川~中神駅間の複線化は国有化と同時で昭和19年4月1日なのです。
もしかして正式に開業する以前に、仮乗降場みたいな感じで、この上屋が存在していたのだろうか。確か東中神駅は、現在の昭和記念公園の広大な敷地にあった立川飛行場の従業員の為に出来た駅だと、小学生の時に歴史で習ったような記憶もあります。陸上自衛隊立川駐屯地HP・立川飛行場の歴史を見ると、立川飛行場の開業は大正11年だ。中でも昭和3年から6年の間までは、民間空港としても使用された時期もあり、日本初の定期航空路はここ立川と大阪を3時間で結ぶ路線。現在青梅線の中でも1,2を争う地味な駅、東中神にもこんな輝かしい時代があったのだ。この歴史的背景からすると、この上屋が昭和5年に存在していたとしても決しておかしくはない。
現在も残る下り1番線側はどうだろう。もしもここで複線化された年の昭和19年のプレートでも見つかれば大発見です。プレートは奥多摩側の柱にすぐに見つかりました。

しかし…、列車非常停止ボタンが取り付けられてしまっていて、肝心の年数が読み取れないのです。プレート自体は全く同じものなので、これも昭和5年のような気がしないでもありません。
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次に、現在も残る1番線のと無くなってしまった2番線の上屋と長ベンチ、全く同じ設計なのですが、よく見ると造り方が違います。これは建てた大工さんの違いと言ってもいいでしょう。まずは素人でも簡単に判別できる事として、ベンチの組み方が違います。

2番線側は板材が枕木方向、

1番線側は板材が線路方向なのだ。
私も建築業界の人間、といっても鉄筋コンクリート造ばかりで、木造にはそれほど詳しくはないのですが、2番線は普通のやり方、1番線はちょっと手が込んでいると言えます。

1番線ベンチの框材(一番先端の部材)はこんな継ぎ方をしています。これは調べてみますと「追掛け大栓継ぎ」という方法です。昔の大工さんは手の込んだ仕事をしたもんだ…、というわけでもなく、これは大梁など建物の主要部分で行う方法ですので、おそらくこの工法で加工した材料が余ってしまった、勿体ないからベンチに使おう…と、結果板材が線路方向になってしまったのだと私は想像します。
そして屋根に目を向けてみますと、

1番線屋根の柱と柱を繋ぐ大梁は、見てくれ俺の技と言わんばかりに「追掛け大栓継ぎ」。

一方、2番線の方は解体中でパイプが邪魔で良く見えませんが、柱の上で継ぐ「台持ち継ぎ」工法。どっちが凄いのかは解りませんが、とにかく大工さんが違う事だけは間違いありません。
とにかく昭和5年からあるとしたら築85年、本当によく持ちました。昔の職人さんの仕事は凄かった…、と締めくくりたいところですが、明らかに手抜きだなぁと思うところもありまして、現在解体されてしまいましたので写真出してしまいますが、

2番線側は頬杖(斜めの部材)を固定するボルトのナットのかかりが半数以上ありません。

こうなっているのが正しい…というか出過ぎ。別の大工さんによる後からの補強かもしれませんが、ここはすぐに人の目につく所、プライドを持った職人さんの仕事ではありません。
現在も残る1番線側はしっかり加工されていまして、このような不良個所は見当たりません。これも解体される運命なのか、そのまま残るのか解りませんが、出来れば保存してもらいたいなと思う次第です。
(撮影は2015年11月)