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日本の鉄道乗車記録 2015年度分 目次

2015年6・7月
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鎌倉あじさい号で西立川駅の待避線と青梅短絡線逆走を体験する
江ノ電と湘南モノレール
上野東京ライン開業で誕生したダイナミックな品川駅北側の渡り線

2015年10月
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ゆりかもめ 東京臨海新交通臨海線 乗車記
舞浜リゾートライン ディズニーリゾートライン 乗車記

2015年11月
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埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)乗車記
東武野田線(アーバンパークライン)乗車記
12月にJR関西本線の木津~奈良間にも乗車したのですが記事は省略。

2016年1月
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阪堺電気軌道上町線(天王寺駅前~住吉公園)乗車記
阪堺電気軌道上町線 住吉公園~住吉間を歩いてみる
阪堺電気軌道阪堺線(住吉~恵美須町)乗車記

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和歌山線乗車記1(和歌山~橋本)
和歌山線乗車記2(橋本~王寺)
関西本線乗車記1(王寺~加茂~亀山)
関西本線乗車記2(亀山~河原田)
伊勢鉄道に1区間だけ乗車(河原田~鈴鹿)
近鉄鈴鹿線乗車記
津エアポートライン乗船記

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サンライズ瀬戸号乗車記
琴電琴平線乗車記1(高松築港~一宮)
琴電琴平線乗車記2(一宮~琴電琴平)
南風6号(琴平~岡山)乗車記
やくも9号 パノラマ型グリーン車乗車記
スーパーおき5号(出雲市~益田)乗車記

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山陰本線(益田~長門市)乗車記
美祢線(長門市~美祢)乗車記
山陰本線(長門市~仙崎)乗車記
山陰本線(長門市~幡生)乗車記
美祢線(厚狭~美祢)乗車記
厚狭から山口宇部空港へ(クモハ123に再会)

2016年3月
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流鉄流山線乗車記
新京成電鉄新京成線乗車記
京成千葉線乗車記
京成千原線乗車記
千葉都市モノレール乗車記

2015年12月末時点での乗りつぶしマップ
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神戸電鉄乗車記8(三田線・公園都市線)

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有馬線の次は三田線へと続きます。有馬口13:50発の三田行きは先頭車が1070型の1074。いいのが来たぞ。両運転台車、3扉で唯一かぶりつき席がある、昔の青梅線の立川側に連結されていたクモハ40みたいだ。車内の製造プレートには昭和49年とあり意外と新しい。

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路線は単線で架線柱は古レールを背中合わせに組み合わせた松葉型(←私が勝手に命名)、かつては準大手私鉄だったとは思えない光景をしばらく進みます。この松葉型架線柱がここにもあるという事は開業は有馬線と同時期のはず、調べてみたらやっぱりそうで三田線開業は有馬線開業の40日後の1928年12月だ。粟生線ではこの架線柱を見かけなかったのは、開業が1936年で電化は1937年、そして有馬線と三田線は前身が神戸有馬電気鉄道、粟生線が三木電気鉄道だったからだろう。このような事を一人調べては勝手に納得してニヤニヤ出来るのも、乗車した後でブログを書く楽しみ。

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ずっと地方鉄道らしい光景かと思いきや、いきなり2面4線の高架駅が現れます、岡場駅。

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岡場から一駅は複線区間もまた単線になって、松葉型架線柱のある地方鉄道らしい光景に、坂を登ったり降りたり、このような路線をかぶりつきして過ごせるのは至福の時であります。

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14:06に横山に到着、ここで降りて電車をお見送り。両運転台の1074を撮って…(2両目は1のぞろ目だ!)、

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後ろは1100型

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ここ横山駅から三田駅までは新開地からとウッディタウン中央方面から1時間当たり8本もの電車の走る区間になり、すぐに電車がやってきます。写真はウッディタウン中央発の3連の2000系。シンプルな線路の配線です。

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私が乗車するウッディタウン中央行きは1350型です。それでは公園都市線へと出発です。

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トンネルを抜けて展開される光景は、1991年~1996年に開通した区間ですので当然と言えば当然なのですが、今までと打って変わってえらい高規格の路線。

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南ウッディタウン駅でまた3連の2000系と交換。

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最後の一区間、現在は単線ですが、両側の広い道路といい、前方に見える巨大な陸橋といい、成田スカイアクセス線みたいでして、スカイライナーがぶっ飛んできそうな雰囲気であります。

そして架線柱は最新の鋼管型だ、という事で神戸電鉄には、古レールの松葉型、木製、鉄製トラス型、コンクリート製、鋼管型とすべての種類の架線柱が揃っていることになる。これはすごい事なのか、どうでもよい事なのか。小学生の夏休みの自由研究の題材にどうだろう。

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終点のウッディタウン中央、駅の造りは今までと全く違う。

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車止めと駅周辺の光景。カタカナの駅名が付く街に相応しい光景です。後ろ側には大型ショッピングセンターもある。

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ここでも12分の滞在しかしませんでしたが、乗ってきた古い電車で戻ります。

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12分の乗車で終点三田に到着、神戸電鉄乗りつぶしもこれで終わりです。

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名残惜しいですので駅近くの踏切でちょっと撮影、先ほど乗車した1150型。

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1350型と1370型の4連。説明しないと解りませんが、前のユニットと後ろのユニットでパンタグラフの向きが違う、実に面白い編成なんです。

*****

(おまけの福知山線)

次はJR福知山線で宝塚へと出るのですが、神戸電鉄三田駅改札横に金券ショップがありまして、三田→宝塚の回数券のバラ売りをしてましたのでそこで購入。20円浮きました。そこには「神戸電鉄の乗車券は販売していません」と書かれていたのですが当然でしょう。

JR福知山線の三田~宝塚間は中学生の時にキハ28・58の急行で乗車した以来、その時は旧線の時代で大阪からこんな近くで美しい川沿いを走る素晴らしい光景が展開されるのに感動しました。乗りつぶしのルールでは乗ったことになりますが、実際の線路は初乗車となります。一番前で立って旧線を見る事が出来るかと思ったのですが、スピードは速いしトンネルばっかりだし、予習してこなかったのも悪いのですが、全くその面影をたどることが出来ず、あっという間に宝塚に着いてしまいました。

(乗車は2014年9月)

前後の関連記事
前:神戸電鉄乗車記7(有馬温泉駅にて)
次:阪急今津線乗車記

阪急今津線乗車記

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阪急電鉄の駅と言えば頭端式10面9線の構造を持ち3線同時発車を行う梅田駅を思い浮かべますが、この宝塚駅も堂々たる駅。ここから出る宝塚線と今津線、私はどちらも未乗車、今回は今津線をやっつけます。

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ホームで待っていたのは7000系。深いマルーンの塗装、シックな内装、関東の人間にとっては阪急電車は見る度に、なんか心ときめいてしまう。ところで7000系は屋根が白かったっけ。1998年からリニューアル工事をしてからこうなったんだそうで全く知らなかった。そして今津線と言えば私にとっては支線のイメージでして、もっと古い電車が走っているものと思っていました。3000とか5000とか屋根まで茶色いやつです。

かぶりつき席は先客がいましたし、そもそもシルバーシートでしたので1両目の進行方向右側に座ります。出発しますと右手に宝塚大劇場。

日本の私鉄はアメリカのインターアーバンを真似して出来たといわれていますが、本家アメリカの方は極端ともいえる車社会化により早期に衰退、一方真似した日本の方は健全に成長し、ここ阪急電鉄は宝塚という文化まで創り出し、今年でなんと100年。これは日本の鉄道史の中で、もっともっと評価されていい事だと思います。(観劇したことがないのに偉そうなこと言ってなんですが…)

すれ違う電車は次もその次も、私が見た限りす屋根まで茶色い古いので、1編成だけの新しいのにあたってしまったようです。各駅に停車する度にどんどん人が乗って来ます。西宮北口駅の乗り換え口が近いことから先頭車両は特に混雑が激しい感じです。反対側の景色は見えなくなってしまいましたが、隣の乗客は全身阪神タイガーズの若い男性。昔は阪急ブレーブスってあったっけ、鉄道は阪神と統合、球団は近鉄と統合、日本もいろいろややこしい事になってしまった。

14分の乗車で西宮北口に到着、今津線は1984年に神戸線を挟んで北側・南側に分断されてしまいましたので階段登って乗り換えです。

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その前にこの路線も見ておこう。朝ラッシュ時に今津線宝塚から神戸線梅田に直通する列車だけが走る短絡線。乗りつぶしをやってるからには、ここもいつか乗ってみたい。キィキィ車輪を軋ませて(←私の想像)ゆっくりカーブを曲がる姿が目に浮かびます。出来れば一番前で見たいなぁ。一番前は梅田駅の構造から一番混みそうなところ、対策を練っておくべきかもしれません。

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神戸線の上のコンコースを歩きます。この床の模様、茶色い2本の線が交差している。かつてここにダイヤモンドクロスがあって電車が平面交差していたんですよ、という事を表しているんだろう。私も幼少期、神戸の親戚を訪ねる時にここを通ったのを覚えている。ダダダダダダダダッってな感じでした。

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今津線の南側、通称今津南線のホームへ、ホームの下にはこの線へ電車を送り込むためのこの駅もう一本の短絡線。

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やってきたのは3両編成の電車。

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出発してノタノタと高架を走って2駅で終点の今津に到着。6000系か…、屋根がクリームになっているもローカル落ちしてこんな短編成になってしまったんだ。ここも8000系・9000系・新1000系と登場し(どれがどうなんだか私は全然わからない)、どんどん世代交代が進んでいるみたいです。

(乗車は2014年9月)

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次:阪神武庫川駅周りを散策

阪神武庫川駅周りを散策

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阪神武庫川駅はいろいろな特徴があって有名な駅です。まずは二級河川武庫川の上にホームがあり、梅田側の改札口は尼崎市、神戸三宮側の改札口は西宮市にあるという事。そして全長僅か1.7kmの阪神武庫川線の起点駅で、短絡線があり、変な所に車両が留置されてたりなかなか面白い。ここは昔から数々の誌面で紹介されており、ずっと興味をもっていたのですが私は今回が初訪問になります。

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本線上りホームから神戸三宮側へ至る通路から見下ろすと、おっ!いたいた。

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その短絡線がどうなっているのか、どう面白いのか、私の文章力ではどうにも説明できないので、簡単に図にしてみました(本当に適当で正確ではないですよ)。要は武庫川線の電車は神戸三宮方から北側へ超急カーブ・急勾配で分岐し、スイッチバックしてやって来ます。そして武庫川線は朝夕ラッシュ時は2本の電車で運行されますが昼間は1本。昼間仕事にあぶれた1本はどうしているかというと、本線のガード下でお昼寝。その光景が何というか、中小路線好きの鉄道ファンなら思わず胸がキュンとなるようなものなのです。

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どうでしょう?川底の岩陰に隠れる魚みたい。ここでは昔ながらの阪神赤胴車が健在です。本線南側、川の堤防へと降りる歩道から撮ったものです。

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堤防上を北へ進み本線の高架をくぐりお昼寝車両を見る。こちらでは頭隠して尻隠さず的風景、昔は単行だったので高架下にすっぽり収まったのでしょう。奥のカーブが本線に繋がる短絡線。

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その先の武庫川第二踏切。この辺は堤防から川と反対側の線路側へ降りる階段がいくつもあるのですが、降りた先が畦道にしかつながっていなかったり、1m以上の段差があったり、夜中に酔っぱらって迷い込んでしまったら大怪我しそうな所です。

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第二踏切から南側を望む。

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北側、かつてはJR西宮駅まで貨物線が伸びており、ここから洲先までは三線軌条だったんだそうだ。

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こちらは武庫川第一踏切、ここの踏切は2か所とも電車が通らない時はフェンス扉で線路を閉鎖するタイプ。電車が通る時、警報機や遮断機は自動で作動しますがフェンスは人が来て開け閉めしなくてはならない。何人でその作業は行われるのだろう。なかなか大変そうだ。

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第一踏切から北側を望む。いったい半径何メートルのカーブなんだ。

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本線に繋がる短絡線、カーブも凄いが勾配も凄い、ここを登る時はさぞかしいい音が聞けるだろう。ちなみにここを電車が走るのは朝の2本運用開始前と夜の2本運用終了後だそうだ。

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それにしてもだ、この電車なんと片開きドアではありませんか。私は関西の私鉄車両についてはまったくもって疎いのですが、こんなのがまだ存在していたなんて驚き。だって引退したえちぜん鉄道の旧型車の車体だって両開きドア車がベース、それなのになぜ本家で片開きドアが残っているんだ。とにかく今日はこんな電車に巡り合えて来てよかったぞ。

(訪問は2014年9月)

前後の関連記事
前:阪急今津線乗車記
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阪神武庫川線乗車記

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武庫川駅周りの散策の後は、いよいよ武庫川線に乗車します。今度は普通の両開きドア車、今になって知ったのですが実はこっちの方が片開きドア車よりレアな存在だったらしい。7890・7990形という車両でして解説はここでは省略。素人が知ったかぶって書いたところでボロが出そうですし、何より阪神電車の系統はとてもややこしくて簡単に把握できないのです。

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武庫川16:59発の電車は買い物帰りや学校帰りの乗客でいっぱい、5分の乗車で終点武庫川団地前に到着。野々村竜太郎議員の件で不名誉なことながら一躍有名になった場所であります。急いで切符を買い直し同じ電車で戻ります。駅は2面2線の配置ですが、使用されていない2番線にあたる方のホームは改札と繋がっていない。なんで作ったんだろう。

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それに信号機も無い。

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戻りの電車は空いていましたのでかぶりつき。ここは洲先駅で両側に出入り口のある無人駅で通り抜けられる。路地がプラットホームになったような駅。

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交換設備のある東鳴尾駅、ここも無人駅。沿線の景色に面白味は全く見つけられない。堤防の横を走るので川も見えない。

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終点武庫川駅に到着、ここにも1本全く使われていない、というよりもほとんど使い道のなさそうな線路があります。村上ファンドではありませんが線路を剥がして貸店舗にでもしてテナントを入れるようにすれば僅かですが資産価値も上がるのに、なんて思ったりもしますが、保線用車両が停泊したりするのでしょう。

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おっ!お昼寝してた電車の行き先表示器の電気が点いている。そろそろ走るのか。時刻表を見ると次の電車から20分間隔から10分間隔になります。せっかくなので外に出て写真を撮って見よう。近くにこの路線を見下ろせる陸橋があったはず。急いで行ってみます。

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来ました来ました片開きドア車の7868-7968。

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後追いでもう一枚。

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東鳴尾駅で交換した両開きドア車の7890-7990がすぐに来ます。ここまで来ると東鳴尾駅まですぐ、交換風景を撮りに行ってみます。

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東鳴尾駅にて武庫川から来た電車。両開きドア車の方が前パンだし、パンタグラフの前にもクーラーが一つ乗っていて阪神電車らしい。

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同時に武庫川団地前からの電車も到着。

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並ぶ、次の瞬間左の武庫川から来た電車のドアが開き、ホームは人で溢れかえります。都会の中のローカル線と言われてますが、ローカル線とはちょっと違う、距離が短いだけの立派な通勤通学路線だ。

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10分待って駅南側でも2本が並ぶところを写真に収めまして、

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もう暗くなってきましたので次の電車で帰ります。

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片開きドア車の車内。製造プレートには西宮・武庫川車輌・昭和43年とありましたが、白い化粧版から車内はとても明るく昭和43年らしい古さは全く感じられません。

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本線ガード下で昼寝中はうらぶれた姿を晒していましたが、ホーム蛍光灯の灯りの下では、なんてツルツル・キラキラな電車なんだろう。側面から屋根にかけての曲線は独特の物です。

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正面だってツルツル・キラキラ、ゆで卵を連想させます。初期の阪神の車両は露出した雨樋からごつごつしたイメージが私にはありましたが、雨樋がなくなるとこんな顔だったんだ。

赤胴車とお別れし阪神本線を高速神戸へと戻り(これで阪神神戸高速線も全線乗車)ホテルに荷物を置いて、昨日と同じ居酒屋で串カツと粉もんの夕食。今日は楽しかったなぁ、いい電車にたくさん出会えたし、かぶりつきも一杯出来た。しかし鉄道趣味におけるツキを使い果たしてしまったようで、翌日は残念な結果となるのです。

(乗車は2014年9月)

関連する前後の記事
前:阪神武庫川駅周りを散策
次:近江鉄道乗車記1(米原~多賀大社前)

近江鉄道乗車記1(米原~多賀大社前)

神戸のビジネスホテルを朝7時前に出て、昨日に続いてマクドナルドで朝食を食べ(JR神戸駅には立ち食いそば屋さんが無い!)、新快速に2時間揺られてやってきたのは米原。今日は近江鉄道です。

ホームに立って9:59発の多賀大社前行き電車を待ちます。今回の旅行は金曜日にこの電車に乗る事を一番にスケジュールを組みました。吊り掛け電車220型が運用に就くらしいのです。インターネットでの情報ですが現在220型が走るのは平日午前中の1運用のみ。そして近江鉄道で1日フリー切符が発売されるのが金土日なので金曜日なのです。しかしやって来た電車は…

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えーっ、き…君じゃないョ!
この時点で、ここに来たのは220型が一番の目的でしたので、近江鉄道はまた今度にすることにして大垣から出る支線にでも乗りに行こうかとも思ったのですが、切符も買ってしまった事ですので、予定通り全線乗りつぶしをすることにします。

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それにしても乗客は4,5人、2両編成では電気代が勿体ない。今すぐ1両で走れる220型に替えなさい!と…言いたくなる。

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それでは出発、しばらく東海道本線と並走し、2駅過ぎて東海道新幹線を潜ると山の中へと入って行きます。勾配標は25パーミル、うーん、ここはやはり220型に乗りたかった。甲高い吊り掛け音が山々に反響して、感動的ともいえる乗り鉄になっていただろうに…。残念である。

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トンネルを抜けると下り坂、彦根の街が見えてくる。並走する東海道本線は平坦な所を走っていますが、どうして近江鉄道は峠越えルートを選んだんだろう。

10:10に彦根駅に到着。ここでは26分もの長時間停車。駅構内にはたくさんの220型が留置されています。どの電車も草臥れ加減からしばらく走っていないような感じです。せっかくですので写真乗せときます。

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左:221、右:223

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左:224、右:226

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左奥に「お~いお茶」ラッピングの黄緑の225。

この時点で5両、220型は6両在籍のはず、もしや1両は運用に出ているかと僅かな希望を持ったものの、長時間停車を利用して駅外に出てみますと、最後の1両もここに休んでました。

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222

この電車のデビューは私の頭の中では1980年代前半のイメージだったのですが1991年から1996年との事。吊り掛け電車ですが、前面の形状、集中クーラー、空気ばねの台車とあまり旧型車に見えないので登場時はそんなに魅力を感じ無かった事、そして路線が東海道本線の途中にあり何時でも来れるやと思っていたのが間違いで、今となっては遅かった。時が流れるのは早い。

しかし、これから先にチャンスが全く無いわけではありません。
近江鉄道公式ページ・220型貸切り列車の案内(←リンク切れになってしまいました。)
彦根貴生川往復で140,000円。クレジットカードでの支払いが可能かどうかわかりませんが、こういうのこそ「プライスレス!」って言えるだろう。

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近江鉄道ミュージアムで保存される車両も。今度は開館日に来てみたい。他に西武鉄道から送り込まれたばかりの電車もたくさん見られました。

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ホームに戻るとこの近江鉄道唯一の転換クロスシート車、700系あかね号も回送幕で車庫に入ってしまう。この車両にあたる可能性もなくなってしまったか、今日はついていません。

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長時間停車を終えて出発。気分を入れ替えてかぶりつきを楽しむことにします。最初の面白い光景はこれ、しばらく東海道本線との3線区間が続くのですが、3本の線路を跨ぐように立っているJRの架線ビームに、近江鉄道の架線を掛けてもらう事は出来ず、自前で古レール製の架線柱を立てているの図。

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草がぼうぼうで貨物線のような雰囲気の彦根口駅。構内の有効長が長いことが昔貨物列車が走っていた名残。

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高宮から多賀線に入り、スクリーン駅を出たところのカーブ。架線柱が細かいピッチで建てられている。これを全部朱色に塗って鳥居みたくしたら、京都伏見神社みたいになって多賀神社の参拝客や観光客が喜ぶのではないか。たぶん喜ばないだろう。(帰りの電車の最後尾から撮影)

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貨物ヤード跡が広がり終点の多賀大社前駅に到着(これも帰りの電車の最後尾から撮影)。降りた乗客は10人ぐらい、ほとんどが観光客のようで多賀大社へと向かいます。折り返しの電車まで37分も時間があるので私も少し歩いてみる。参道途中に南無延命地蔵尊という小さな神社がありましたので、ここでお参りをして戻ります。ここには足ツボ地獄というのがあってやってみると、旅行の疲れが取れてすっきり。とてもありがたいです。

(乗車は2014年9月)

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近江鉄道乗車記2(高宮~貴生川・八日市~近江八幡)

多賀大社での参拝は出来ませんでしたが、多賀大社前11:31発の電車で戻ります。乗客は5人ぐらいだったか、クーラーはガンガンに効き、運転室に貼られた「節電中」の張り紙が空しい(まだ220型に未練があるのです…)。予定では彦根まで乗り通すつもりでしたが高宮で下車し先を急ぎます。

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ここ高宮も貨物ヤード跡がある駅で規模も大きい。ところで貨物列車は何年に廃止されたんだろう、最盛期は1日に何本ぐらい運転されていたんだろう。貨物廃止は1988年で、運行本数は分かりませんでしたが保有していた機関車の数から今の秩父鉄道より少ないぐらいでしょうか。

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本線側もなかなかいい雰囲気でして、構内踏切に下りる階段は石造りだ。止まっている電車がこれから乗車する高宮11:48始発の近江八幡行き。米原から来る多賀大社行きの接続をしてから出発します。

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高宮を出発すると新幹線との並走区間。近江鉄道が1898年開業(とても歴史がある)、そして東海道新幹線開業はそれから66年も後の1964年。ところが東海道新幹線も50周年となった現在、路盤もずっと昔から存在していたような威厳があり、こうして近江鉄道に乗っていると、近江鉄道の方が「横に線路敷かせてもらいますね、何よりも直線で思いっきり走れますし、風もしのげてありがたいですぅ」といった感じで後から建設されたように見えてしまいます。

またここは東海道新幹線に乗車していても気になる区間でして、ここを見るのは、空いていれば必ず進行方向右側に座る習性の私は大阪方面に向かう時。近江鉄道の線路がすぐ横にあるのは分かるのですが、防音壁が高くなかなか全貌が見えず、たまにはすれ違うだろう電車の姿も見えず、とてもストレスがたまるのです。運良くここから近江鉄道の電車が見えたのは数えるぐらいしかありません。

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東海道新幹線から少し離れたところにある五箇荘駅、ここで轟音を立てて下り新幹線が通過。ここから新幹線の窓が見えますので、新幹線側からもこの電車の全貌が見えたに違いありません。もしこの新幹線に私のような乗客がいましたら、今日はついているぞと一日気持ちよく過ごせたことでしょう。

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八日市駅には12:11に到着。今日走っているのはこの電車、800系ばっかりだ。

次の貴生川行きで1時間ちょいの待ち時間がありますので、駅の外に出て食事にします。近江牛のステーキでもあればガツンと食べてみたいなぁと歩き回ってみましたが見当たらず(あってもおそらく値段を見て入らないと思います)、ショッピングセンターを覗いてみるも東京にもあるような店舗ばかりみたいですのでトイレを借りただけで出て、結局駅前に戻り、近江鉄道電車のテープ放送でコマーシャルを流していた、喫茶店のような雰囲気の定食屋さんに落ち着きました。牛筋煮込みどんぶりを美味しく頂き、食後にコーヒーも注文して次の出発時間近くまでまったり。

13:19発の貴生川行きに乗車します。ここから日野までは昼間は2時間に1本しか列車が走らない、近江鉄道で一番ローカルな区間なのですが、どんな風景だったかはあまり印象に残っていません。(もう忘れてしまった)

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日野では交換待ちで8分の停車、降りてみますとここも木造駅舎のとても風情のある駅。

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乗車した電車も記録しておこう。先頭からモハ803-モハ1803の編成。

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特徴ある木造屋根の上りホームに来たのは、全面窓の改造されていない820系。この近江鉄道独特の車端部裾の切欠きによって、西武401系らしさはあまり感じられません。

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留置線には新車100系が停車しています。この電車には車端部裾の切欠きがありません。調べてみますとカーブした高宮駅の多賀線3番ホームを削ったことにより、改造の必要が無くなったんだそうだ。

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日野からは昼間も1時間に1本と本数が増える区間なのですが、景色は一気に末端部らしいものになってきます。急なカーブでは架線を上から吊るのでなく、線路のカーブに合わせるように横に引っ張る設備なんかがあります。立つ柱はみんな木製でどれもあっちこっちに傾いています。これを模型で再現したら面白いでしょう。

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峠越え区間でトンネルもある。トンネルは煉瓦造りでかなり古そう。電車はここでは20㎞に減速して通過。

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山を越えると平野になりもうここは草津線エリア、最後に野洲川を渡って終点の貴生川に到着です。

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貴生川では19分の時間があり一番に信楽高原鉄道を見に行ってみます。昨年9月の台風による橋脚流失で、信楽の車庫に帰れなくなってしまった可愛そうなSKR311。11月29日に運転再開だそうで、本当に良かった良かった。運転再開の貼り紙と一緒に洗車もしてもらえたようでピッカピカ、きかんしゃトーマスの物語の一つみたいな感じだ。いつか草津線と一緒に乗りに来よう。

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戻ります。ここ貴生川では乗車券は手売り。

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再び八日市、今度は八日市線で近江八幡へ、ここでもまた800型しか並ばない。

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出発して本線と別れ右へカーブを切ると、左側は貨物積込ホームの跡みたいなただならぬ雰囲気、そしてすぐの新八日市駅はとんでもなく古い駅舎。後になって知るのですが八日市線の前身、湖南鉄道の本社だったんだそうだ。開業時に建てられたものだとしたら築100年になる。後は平坦な農地の中に住宅が散在するようなところをひた走る。今まで乗車した近江鉄道の電車で乗客が一番多い。

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近江八幡駅も貨物の取り扱いをしていた跡が残る。貴生川もそうだったし、あちこちでやっていたようで、今ならまとめて集約化すべきですが、そういうおおらかな時代だったんでしょう。相手側も国鉄ですし。

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これで近江鉄道も全線乗車が完了、3日間の関西私鉄乗りつぶし旅行も終了、最後に自由通路から電車を見送り、新快速で米原、ひかり号で東京へと戻ります。

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おまけ、米原駅で撮った写真です。

(乗車は2014年9月)

前の記事:近江鉄道乗車記1(米原~多賀大社前)

両毛線乗車記

2014年9月の初旬、朝一番のむさしの号と東北本線快速ラビットを乗り継いで小山へ、ここで「群馬世界遺産記念ワンデーパス」を購入しまして、本日は日帰りで群馬県の鉄道3線の乗りつぶしをします。まずは両毛線から。

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ホームで待っていた小山9:23発高崎行きは湘南色の115系4連。2年前も水戸線に乗るために同じ列車でここを訪れたのですが、その時は107系でした。隣のホームに入って来た後続列車も115系、出発してしばらくして見える留置線に止まっているのも115系、すべて湘南色、どうもここは115系天国のようであります。私としては出来れば107系に乗りたかったのですが、115系も近いうちに引退が予想されますし、ロングシート車がセミクロスシート車になったことで良しとし、楽しむことにいたします。

車窓は単調ながら、駅間距離は長く線路もほぼ直線、電車は台車のバネが跳ね上がる感じまでスピードを出します。モハ(電動車)に乗車してモーター音に耳を傾けるのは最高の気分。栃木と佐野では東武鉄道日光線と佐野線にそれぞれ交差しますが、東武側は、どちらも急カーブを描き片側で両毛線をオーバークロスする形で接近し、ゴチョゴチョというか必死になって両毛線とホームを並べるように線路を敷いています。これぞ先に建設された生粋の国有路線と、後から建設された私鉄路線の違い、乗っていて優越感みたいのも感じられます。(と、思っていたものの調べてみると両毛線の前身は両毛鉄道で私鉄でした。)佐野駅で見た東武の電車は8000系の2連、115系も8000系もかつてはあれだけの両数がいたのに、今ではとうとうここまで追い詰められたかといった感じです。

足利に到着、私は2000年頃の冬に桐生から足利まで乗車したことがあります。東武特急(その頃は急行?)で赤城に来てわたらせ渓谷鐵道に全線乗車し桐生駅へ、また東武特急で帰る予定だったのですが、大間々まで戻ってまた赤城駅まで歩くのも寒そうなので、JRで足利まで出て乗り換える事にしました。しかし着いてみてJR足利駅と東武足利駅が1kmぐらい離れていることを知ってびっくり、冷たい風が吹き荒れる中、みじめな思いで川をトボトボ歩いて渡ったのでした。

過去に乗車した時はもう真っ暗で、何も景色を見ていないのですが、一度乗った区間と油断してしまったようでウトウトと眠ってしまい、起きたら桐生でした。すれ違う電車は一度栃木で211系だったのですが、ここでもまた115系。桐生を出てわたらせ渓谷鐡道と別れると左手に留置線が見えるのですが、ここで休んでいるのは211系ばかり。

車窓に集中しますが景色は相変わらず、目立って見られたのはスクラップ工場・産廃処理場・農地跡に設置された太陽光発電パネルぐらいか。高架の伊勢崎駅でやっと107系を見ます。サボは高崎行き、降りて乗ってみたいですが何時に出るのか分からないので止めときます。233系がいて都会に見える前橋を出ると車内放送で、本日に限り新前橋駅において車両交換をしますので、ホーム隣の電車にお乗り換え下さいとの事。私は新前橋で降りてしまうのですが、交換される車両は107系でした。

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屋根や台車に165系の面影がたくさん見られるのはもちろん、この100番台2次車は、3つ並んだ窓の質感がスイスの軽量客車みたいで私大好きなのです。そのうちに乗れる機会があるでしょう。

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新前橋駅で見れたのは107系だけでなくアントも、こんな間近で見るのは初めて。

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見てくれこの雄姿、233系10両編成だって移動可能、アント工業公式ページを見るとキングオブアントと呼ばれているやつらしい。動いているシーンは見られませんでしたが、動き出したらどんな音を奏でるのか気になります。

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お座敷から再改造された超豪華普通車のリゾートせせらぎは一度チャンスがあったら乗ってみたい。

(乗車は2014年9月)

次の記事:一部区間がダム湖に沈む吾妻線乗車記

一部区間がダム湖に沈む吾妻線乗車記

今回の群馬日帰り鉄道旅行の一番の目的はここ吾妻線。半月後に八ッ場ダム建設に伴い、岩島~長野原草津口駅間の線路切替が予定され、現在の線路はいずれダム湖によって水没するというので気になって行って来ました。この区間は1988~90年頃、草津温泉にスキーに行くのに乗車したことがあるのですが、複数のスキー仲間と一緒だった事で全然覚えていません。また、長野原草津口から先は初乗車になります。

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両毛線を降りて新前橋から乗るのは特急草津1号。短距離なので自由席特急券料金が勿体ないですが、青春18きっぷでの旅行との差をつけるためにも敢えて乗ってみたくもなるものです。平日なので空いているだろう思っていたものの、予想以上に乗車率は高く、窓際の席は2,3か所しか空いていませんでした。しかしこういった列車によくいそうな、喋りまくるオバサン団体はおらず車内は至って静かで快適。乗車しますこの651系、常磐線での任務を解かれ、半年前から特急「あかぎ」「草津」で第2の人生(車生)を送ることになりました。私としてはまだまだ新しい車両のつもりだったのですが、座ってみて前の座席の下に足を延ばすことが出来ないのを知って、あぁ、やっぱり古い世代の車両なんだなと実感します。

渋川で同じ特急草津と交換し、上越線と別れ単線の吾妻線へと入って行きます。線路のジョイント音のリズムもどことなく変わった気がし、縦揺れ、衝撃も大きくなり、ローカル線らしい走りっぷりになります。金島駅を出てすぐ上越新幹線を潜り(どうしてここに駅を造らなかったのだろう)、しばらく走って四万温泉や沢渡温泉への玄関口である中之条に到着。ここでは下車客が多く、川側になる進行方向左側の座席に移動します。そして渋川を出て約50分、岩島駅を通過します。さぁここからが八ッ場ダム建設によって廃線となる部分、しっかりこの風景を心に刻み込んでおきたい。

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まずは駅を出たところで新線が左側へと分岐、立派なコンクリート橋です。次第に谷が狭まってくる、そろそろかな、子供の頃に見た鉄道大百科的な本には必ず紹介されていた全長7.2mで日本一短いトンネル「樽沢トンネル」。車窓左手の沿線には廃線となる個所を走る電車を撮影するカメラマンがちらほら見かけられるようになります。私も窓にカメラを向けて待つ。トンネル入った!これか?いや長い…違う。出たと思ったら一瞬、黒い門というか影のようなものがさっと電車の上を通り過ぎる、あーっ!これだ、写真は撮り損ねてしまいました。この日本一短いトンネルを出たところ左手下の道路歩道には5,6人のカメラマン、何故かみなさん地面に這いつくばって写真を撮っています。立って撮るより這いつくばって撮った方がいい写真になるポイントのようで、ご苦労様ですと声を掛けたくなってきます。

このトンネルは水没はしないようですが、この先のどこにダムサイトが出来て、どこまでが水没しないのか、どこから水没するのかを知りたくて注意して車窓を見ていたのですが、分からないままいずれ水没するという川原湯温泉駅に到着。ここで下車します。(ダムサイトは旧川原湯温泉駅の700~800m渋川側のようです。)

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まず目に飛び込んでくるのが頭上の大きな橋。

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橋脚の上の方には何か書いてあり、拡大してみると「標高586m」「標高583m」、たぶん586mがダムの高さで、583mが満水時の水位だろう。めちゃくちゃ高い。そして私の今立つところはダムが出来た後は、めちゃくちゃ深い。すごい事なんだなぁ…とホームで立ちすくしていると、駅員さんに、早く切符見せてくださいと催促されてしまう。ついつい夢中になってしまった、申し訳ない。切符確認の後は自由に見学してくださいとの事でした。駅舎の中は見学に来た観光客が10人ぐらい。車で来る人も多い。

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外に出てみますが周りは何もありません。駅の隣には川原湯温泉活性化施設という建物があるも既に閉鎖され、道路はダンプカーが頻繁に走る。既に人々の生活している雰囲気が全く無いので悲壮感みたいのは私にはほとんど感じられませんでした。

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消えゆく運命の駅の光景。

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この駅では30分の滞在で、大前行きの普通電車に乗車します。車内は大混雑、その80~90%が水没区間のお名残乗車の鉄道ファン。平日でこれだから、休日はもっとすごいんだろう。座る席もないのでドアの前で立って車窓を見ます。ここから次の長野原草津口までの間で、川原湯温泉駅上に建てられた橋の高さより上まで登るわけですので、相当な勾配区間のはず、モーターの音が聞けるモハに乗ればよかったのですがクハに乗ってしまった。しかし混んでて移動も出来ず。

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出発しますと上空にまた橋、これも高い。いずれはこの角度で見られなくなる。

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クハに乗ってしまったので実感できませんでしたが、これから完成するダム湖の水面上まで登り切ったようで、左手から新線が合流して長野原草津口に到着。乗客のほとんどの鉄道ファンもここでは降りない。みんな終点大前まで行って戻ってくるのだろう。

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さぁここからが私の未乗車区間。まずは左に廃線となった太子駅方面への鉄橋を見る。羽根尾駅では先ほど私の乗車した651系が隣のホームに止まっています。万座鹿沢口駅が単線で待機できないのでここまで回送されるようです。ここからは川が車窓左側から右側になり、万座・鹿沢口駅に到着。ここは特急の終着駅なのに高架で1面1線の面白い駅、降りる客もほどんどなし、さぁ最後の1日5往復しか普通電車の走らない、乗りつぶしをする者にとって重要な1区間、今となっては正直どんな車窓だったか忘れてしまったのですが、電車は4分走って終点大前に到着。

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まずは改札(といっても無人駅ですが)を出てみる。最後尾に乗車していたので1番に改札を出られるのですが、誰も来ない。この日のこの電車、これだけ満員でしたが、100%乗るだけが目的の乗客だったようです。

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対岸へ渡る橋と、そこから上流側の眺め。wikiの大前駅解説によると1日の平均乗降客は2011年で50名、朝2本と夕方からの2本で、この橋を渡る人が見られるのだろう。

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橋あたりから駅ホームを見る。こちらは人一杯だ。

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駅の渋川側の踏切より撮影。

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これが線路の末端部。今となっては吾妻線は万座・鹿沢口が終点でも良かったのではと思うわけですが、当時は当時の考えがあったんだろう。

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さて戻ります。進行方向と反対向きですが、進行方向右側ボックスシートの窓際に座ります。

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長野原草津口では9分の停車時間があったので、降りて渋川側先端まで行ってみる。線路切替の準備は万端のようです。

もう一度、ダム湖に水没する区間を走ります。今度はだんだん実感が湧いてきた。建設する、建設しないで揉めてきたダム、どちらが正しいかは私は判断できません。しかしこれは凄いことなんだなと。何千年も続いた渓谷の風景も終わる、何千本いや何万本もの木々も生命を終える。この場所で生活していた人たちはどのような気持ちでここを去ったのだろう。そしてこれはここだけでなく日本が近代化してから至る場所で繰り返されてきたんだと。青梅線の先の奥多摩ダムだってそうだったんだ。

水没区間を過ぎ、今度は小野上温泉駅で下車、今日はタオルを持ってきてまして、駅近くにある温泉に寄り道します。最近出来た健康ランドみたいな所で、いいお湯でしたが、これなら私の家近くの東京の昭島温泉とあまり変わらない。せっかく旅行に出たのだから、もっと質素で風情のあるところがいいなと、だんだん温泉に対する私の理想は高くなってしまっています。

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時間が無いのでそこそこ温まったところで出て、後続の電車で高崎に向かいます。来たのはまた115系の湘南色。

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次の小野上駅では行き違いで少々停車。いい駅で止まってくれました。駅裏に線路のバラストの採掘所があり、ホキ800が並んでいる。この車両だけは昔から全く変わらない。高速で走るわけではないので、新しくする必要が無いのでしょうか。その中の1両(ホキ1459)の製造プレートを見たら昭和39年とありました。ここですれ違ったのは107系、この電車にはタイミングが合わず、なかなか乗れません。

(乗車は2014年9月)

前後の関連記事
前:両毛線乗車記
次:上信電鉄乗車記

上信電鉄乗車記

吾妻線の次の初乗車は上信電鉄、ここはデキが運転される時に行ってみたいと思っていたものの、何時になったらタイミングが合うか分かりませんし、私の持つ「ぐんまワンデー世界遺産パス」は上信電鉄の1日フリー切符よりも安い、これは今行くしかないでしょう。

時間がないので急いで乗り換えです。それにしても高崎駅の1番線は無くなってしまったんだ。今では上信電鉄への通路の役目でしかない。もう10年になるらしい。知らなかったです。私の母親の生家が長野にあった関係で、少年期は夏休みの度に、急行信州や妙高、たまに特急あさまに乗って行ったのですが、行きの高崎駅はいつもこの1番線ホームに入線しました。印象に残っているのは、大きな駅舎にだるま弁当の販売、立ち食い蕎麦屋さんでは車内持込用のプラスチックの容器に入れての販売もしていたような気がします。しかし残念ながら私たちは駅弁は横川で買うものと決まっていたので、ここで買って食べた記憶はありません。

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待っていた16:43発下仁田行きはこんな電車、先頭は両運転台のデハ251、後ろに別形式のクハ303をぶら下げた編成。地方の中小私鉄らしくて面白い、今時こんな編成はなかなか見られないのではないか。この手の編成で一番インパクトがあったのは、上田交通の丸窓電車と元東急青ガエル中間車改造クハの組み合わせでしょうか。

車内は通学帰りの高校生で一杯。座って大人しく過ごします。私鉄路線の起点の次の駅というのは、とても小さな設備である事が多いですが、この路線の南高崎駅もそう。次に新幹線高架下で止まったと思ったら信号所、ここで元西武401系電車と交換。出発すると西に急カーブでまた新幹線の高架をくぐる。新幹線が出来たおかげで、線路を敷く方向を間違えて修正したかのような感じにまってしまった。鉄橋を渡ります、撮影で有名な場所はたぶんここだろう。高崎からこんなに近かったんだ。

次の交換駅の山名では島式ホームだからか右側の線路に入る、さっきの信号所では左側を通ったはず。運転席が右側だからか右側に入るのか、違う、運転席が右側なら左側の線路に入ったほうが良いはず、よく解からない。そしてこの鉄道には運転台が右側にあるのと左側にあるのが混在するみたいで、ますます訳解らない。考えるの止めよう。

それにしても車両の種類が多く、交換する度に来る車両は違う。馬庭でダンパーが凛々しく日野自動車が作ったかのような6000系、上州福島で新車7000系、上州富岡で元西武801系のシマウマ電車。上州一ノ宮駅で元西武新101系の蒟蒻畑電車。中でもこの7000系、地方鉄道がオリジナルの新車を導入するのは久しぶりの事。世界遺産登録を見込んでの地方自治体からのプレゼントなんだそうだ。テレビでは富岡だ富士山だと騒ぎすぎではないかと、少し冷ややかな目で見ていましたが、こうして新車現物を目にすると地域も活性化するんだと実感。後は一時のブームで終わらないようにあって欲しい。

上州富岡から2つ3つ進んだところでだいぶ空いてきました。そろそろいいだろうか。運転席後ろに立って前方を眺めることにします。

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前方に面白い形の山、そして上信電鉄の架線柱も古レールを利用したもの、2本組み合わせていますが、間に斜めに鉄材が入って神戸電鉄の松葉型よりはるかに頑丈そう。この電車は運転席が右側にあるので、左側からの撮影になります。

前方を見ていて気になるのが、カーブに差し掛かると線路にカントがあって車体はカーブ内側に傾きます。そして直線になると元通り真っ直ぐに復元するのですが、この復元するのがとても遅いというか、しばらく直線を傾いたまま走るような感じがするのですが気のせいか。

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この路線は最後の1区間、千平からが面白かった。谷が狭くなり景色は一転、山の中に突っ込んで行きます。連続カーブをゆっくり右に左と車体を傾け、勾配をどんどん上るのは山岳鉄道の雰囲気。

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信号所だ、ここだけ勾配が無く直線だからかスピードが速くなる。いいぞいいぞ楽しいぞ、碓氷峠の熊ノ平信号場通過を思い出します。

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カーブを曲がった先はどんな風景が展開されるのだろうと、ずっと見入ってしまう線路、短いトンネルを抜けると下仁田の集落が見えてきます。

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そして終点下仁田に到着、駅の向こうに見える風景は中国の山水画みたいだ。高崎を出てから1時間1分ですが、遠くへ着たなぁという感じがしてきます。

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駅を出て気になったのは、ワンボックスカーを改造した小さな乗り合いバス、車にはふれあいバスと書かれているも、その下の事業者名は雨沢ハイヤー、そして行き先の勧能、「かんのう」と読むのではないかと思うのですが、なんとなく神々しい漢字の並びと響きに、どんなところなのか興味を持って調べると、下仁田から西へ15㎞、長野県境に近い谷間の集落で、石垣・棚畑・崖屋・古民家あたりに痺れてしまう通な旅行者にとっては桃源郷なような所だそうだ。まだまだ私の知らない日本はたくさんある。

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しかし、ここでは6分の滞在ですぐに戻ります。

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左端の錆びだらけの貨車は鉄製有蓋車のテムだ。上州福島にもいた。

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行きも帰りも乗車します、両運転台デハ+クハの異形式連結編成、下仁田側のデハ251。

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高崎側のクハ303。この写真を見て非冷房車だったんだ(窓を開けられた!)と思ったのですが、床置きタイプのものが設置されているらしい。

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異形式の連結なので車体断面や窓配置は全く合わない。

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側線に停車中のクモハ155+156、昔の典型的な西武顔の電車。地方に行けば見られるイメージでしたが、流鉄・伊豆箱根鉄道では同じ西武の新しい中古に置き換えられ、急速に数を減らしている。

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帰りはクハに乗車、車内の製造プレートは「西武・所沢車両工場・昭和44年」、車内の写真と、妻面から見える両運転台デハの顔。

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帰りはどこかで降りてみたくなりました。無人駅がいいなと降り立ったのは上州新谷駅。

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新車7000系の下り電車が到着、たいした写真は撮れない。

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上州新屋から高崎まで乗車したのは、下仁田側がデハ252、高崎側がクハ1301の編成。これも似ていますが異形式の連結、上信電鉄は面白いなぁ、ここは一日かけて楽しむべきだった。

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哀愁の高崎駅旧1番線通路、たかべんの立ち食いそば屋さんは駅構外になってしまいましがが健在、後で知るのですがラーメンの方で有名らしい、天ぷらは全部売り切れで肉そばを食べて、Maxたにがわ、むさしの号を乗り継いで帰ります。

(乗車は2014年9月)

前の記事:一部区間がダム湖に沈む吾妻線乗車記

東葉高速鉄道乗車記

この日は成田空港に人を迎えに行きます、13時までに着けばいいので時間はゆっくりある。東京都西部のとある駅から成田空港へ行くまでに3路線の乗りつぶしをします。前々から温めてあったプランでして、ついに決行出来る事となりました。

まず最初は東葉高速鉄道、残念ながらほとんど印象に残っていません。乗車したのは三鷹9:05発の東葉勝田台行きの直通快速で、車両は東京メトロの15000系。通勤ラッシュは一段落で車内は空いています。しかし広幅ドア車だからかクーラーが最強に設定してあるようでとにかく寒い、1時間21分もの乗車に耐えられるか心配にもなりますが、やっと都心を抜けて地上に出て、激しく射し込む太陽の光で暖を取って凍えた体を快復。

西船橋、さぁここからが初乗車となる区間、しっかり車窓を見よう。しかしすぐに地下に潜ってしまう。一旦地上に出るも北習志野駅はまた地下で、接続する新京成電鉄の線路も電車も見えない。八千代緑が丘は2面4線の駅で車庫へと通じる路線が左へと分岐しますが、車庫は遠くにあるようでこれまた見えない。終点の勝田台駅も地下。見どころは見つけられませんでした。運賃が高額なので有名らしいですが、Suicaで改札を通り抜けてしまったのでその実感もありません。

このブログ、一つ一つの路線に愛情を込めて見て思った事を詳細に書き、ついでに私に欠けている文章力も向上させようと思っているのですが、東葉高速鉄道についてはどうしてもうまく書けなかった。残念。

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東葉勝田台駅にて

(乗車は2014年9月)

次の記事:山万ユーカリが丘線乗車記

山万ユーカリが丘線乗車記

東葉高速鉄道は面白味のない乗りつぶしになってしまいましたが、こちら山万ユーカリが丘線はいい意味で期待を裏切ってくれました。

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京成の快速電車に2駅揺られてユーカリが丘駅、階段登って待っていた車両、コアラ2号の可愛いのなんのって。車体に貼られたコアラのキャラクターだって可愛くて、最近のゆるキャラよりずっと出来がいいではありませんか。

さてこの山万ユーカリが丘線、不動産会社の山万が運行を行っている新交通システムの鉄道路線である事、線形がテニスのラケットの形で片側通行なのが有名ですが、もう今年で開業して32年、新交通システムの老舗と言ってもいいぐらいになってしまいました。

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ドアが低いので頭を屈めるようにして小さな車内に入ります。ここで時間が一気に30年前に逆戻り、むっとする車内、なんとこの車両は非冷房なんです。天井の送風機からの生暖かい風が優しく感じます。

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夏の混んでいるときはかなり暑そうですが、窓を開けられる車両なんて、首都圏でどれだけ残っているだろう。

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吊革は車体が小さいので天井から直接吊る。

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この美しいカーブ、(昔の)未来の都市への路線を象徴するかのよう。

それでは出発。思っていた以上にスピートを出します、そして揺れる。僅かですが外から入ってくる風が心地よい。公園駅で分岐し一方通行の路線に入り、次の女子大駅で降ります。

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公園・女子大・中学校とバス停以上にストレートな駅名の中で、降りる駅を女子大にしたのはスケベ心からではなく車庫があるから。次の電車が来るまでの20分間、外に出て散策してみます。

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車庫で昼寝中のこあら3号。右の木はたぶんユーカリなんだろう。

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屋根のある車庫で検査中?なのはこあら1号、しかしこの配線だと素人考えで、こあら1号を本線に出すには、こあら2号、3号すべて本線に出さなくてはならないようにも見えるのですが、今3号のいる右手前の線は2編成分入れる長さがあるのでしょうか。こうすべき専門家なりの理由に興味を持ちます。

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もっと中学校方面に歩いてみます。右が本線、中央がコアラ3号、左奥が1号。

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さらに先、気持ちいい天気の日ですので、ここで撮影したり、そのまま線路沿いを歩いてみたくもなりますが、時間もないので戻ります。周りはまだまだ開発の余地がある感じで、ますますの発展も予想されます、現状の小さな車体では将来対応できるでしょうか。しかしこの辺の住民はみんな車を持ってそうで、京成電鉄に乗り継ぐ通勤通学客以外の需要はあまりなさそう。となると今の日本の流れからすると、人口は同じだとしてもこの路線の利用者は減ってゆく。実際のところどうなんだろう。

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切符の自動販売機はボタンが四角い古いもの、おそらく開業時から使い続けているものでしょう。販売機上に掲げられた運賃表には、普通運賃200円のところに「全線均一運賃につき1乗車」と書かれています。という事はユーカリが丘で乗って、ぐるりと全線乗ってユーカリが丘で降りても200円でいいみたいだ。この辺はJRの規則と違う。

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誰もいないホームで次のを待ちます。来た来た、さっきのこあら2号、坂をぐいぐい登ってきたぞ。1編成での定員は路線バス1台半ぐらいでしょうか。

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カーブ切って進入する姿はカッコいい。

今まで乗車した区間はほとんどが高架でしたが、女子大からは道路と同じ高さになり、中学校からは切り通し区間になりトンネルまであります。意外とアップダウンの多い丘陵地帯のようです。あっという間にラケットを一回りして公園駅に到着。

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この路線の分岐器はみんなY型、“く”の字に曲がっているからか減速して通過します。この分岐器が動く(切り替わる)ところも見てみたい。この路線をとことん楽しむなら、女子大駅、平日6:17と18:25、土休日9:50発の列車がいいでしょう。これは女子大始発なので、車庫から出てくるところ、そしてこの分岐器が動くところをホームから間近で見られます。

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ユーカリが丘に到着しまして外に出てこあら2号をお見送り。なかなか楽しかった。都心以外のちょっとした郊外は車の方は便利になってしまった今、こういった路線は今後登場するのだろうか。またもし、今このユーカリが丘線を建設するならば、新交通システムでなくLRTになるのだろうか、そんな事も想像してみるのも楽しい。

(乗車は2014年9月)

前後の関連記事
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芝山鉄道乗車と昔の京成成田空港駅

山万ユーカリが丘線の次は芝山鉄道、ユーカリが丘駅から京成成田までは8駅ですが、普通京成臼井行、快速京成佐倉行、特急成田空港行と3本の列車を乗り継がなくてはなりません。しかも末端部なので全部各駅停車、30分以上もかかる。京成成田でも次の芝山千代田行きまで30分待ち。構内にパン屋さんがあったのでそこで昼食にします。こういうパン屋で飲み物も注文すると高いんだよな、でも仕方ない。

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やっとやってきました京成成田12:32始発の芝山千代田行き、車両は新型の3000系、サボは「(東成田)芝山」となっています。かぶりつきをしたかったのですが先客がいまして座って過ごします。

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だいぶ走ったところで両方複線の平面交差の分岐、ここから先は現在の成田空港駅へのルートが出来る以前に乗ったきりですので23年ぶりになります。この右へ分岐する線路もスカイアクセス線の開業によりメインルートではなくなり、最後に乗ったのは2008年ぐらいだ。この界隈は短期間で2度もメインルートの変更がされましたが、メインでなくなった方も廃線になったりせず、きちんと有効活用されているのは嬉しい。

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東成田でかぶりつきをしていた人が降り、今度は私がかぶりつき、ここからが全長2.2㎞、日本一短い私鉄の芝山鉄道で、私の初めて乗る区間。出発してしばらく続く地下区間前方を見ていると、確かに不自然なカーブがある。空港敷地内に残ってしまった住宅を避けているというのがここだろう。そして地上に出て高架を一気に駆け上がり芝山千代田に到着。

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現在の線路の終わり。九十九里海岸まで延伸する計画があるようですがどうなるのでしょう。千葉県の鉄道については、今度のJRダイヤ改正の特急列車の削減がとても痛い、完全に高速道路にやられてしまった訳で、ブルートレインが毎年1本1本消えて行ったように、これからもどんどん削減されそうな気がします。

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駅を出てみます。駅前にはいかにも簡単に建てられたかのような売店があり、中にはカウンターがあって人が何か食べてる。壁には「しょうが焼き定食600円」の貼り紙、こういう店に入ってみたかった。さっき成田駅でパンなど食べるのではなかった。

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すぐに駅に戻ります。ホームは長く、京成上野行きの直通列車が来る時は一杯に停車するのでしょう。

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上野方面を見ると、もうすぐそこが成田空港、右に見えるのは第1ターミナル。

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近くに駐機しているのはLCCの春秋航空だ。この辺に第1、第2とは非常に格差の激しいLCC専用の第3ターミナルを造って、この駅は空港第3ビル駅に昇格したら面白いなと思いましたが、そんなに格差のない、フードコートがあって、むしろ楽しそうなのが第2の横に出来るんだそうだ。

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乗ってきた電車で戻りまして、次の東成田で降ります。

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2面4線、昔の成田空港駅です。インターネットで、この駅の使われていない側のホームが時間が止まってしまったかのように、昔のまんまで残っているというので興味を持って来たのですが本当だった。

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使用されていないホーム側の駅名板は成田空港のまま。1989年の夏に初めて海外に行くのに期待と不安一杯で降り立った駅の現在の姿、いいものが見れたなという気はあまりしない。

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この木目調で真中が水色のベンチを見るのも久しぶり、昔は至る所にあったような気がします。これは両方のホームにある。

現在使われていない静寂に包まれたホームは照明が落とされ誰一人いない。そして現在使われているホームも私一人なので、うーん、何と言ったらよいのだろうか、この雰囲気。考え方を変えれば、ここが厳重警備が敷かれてなく自由に居られる場所であるならば、座禅でも組んで瞑想にふけるには最高の場所ではないだろうか。長居する場所ではないので外に出ます。

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コンコースは半分に仕切られている。壁の向こうには飲食店が昔のままで残っているそうだ。

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改札を出ると第2ターミナルへの500メートルもの地下道。今日は第1に用があるのでこっちには行かない。

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そして地上へ出る広い階段、そうそう思い出したぞ、階段を上がると広い駐車場があって空港へ向かうバス(バスは路線バスと同じ)が何台も並んでいて、係員にこっちこっちと、どんどん詰め込まれるように乗り込んだんだっけ。

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広い階段側を出たところはこんな感じ、こちら側は地元の利用者用で空港へは行けない、なのでセキュリティーチェック無しで出られる。空港へはまた階段を下りて別の小さい出口からセキュリティーチェックを受けて出る。今日は歩いて第1ターミナルまで行ってみようと思います。昔連絡バスに乗った時はとても時間がかかったような気がしますが、地図を見るに数分歩けば着くはず。それに昔は必ずバスに乗せられて歩くことは出来なかった(←もしかしたら歩けたのかもしれません)、今日はこれを体験してみたい。でもその前に無料循環バス乗り場にも行って見てみよう。

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こんなに遠回りするのか、これなら歩いた方が絶対に早い、と思ったらバスが来てドアが開いたんで乗り込んでしまった(バス停にいたのは私一人)。バスは予想通りのろのろ走り、第2で2回、その都度数分停車し、やっと第1に到着。失敗したなぁ。

(乗車は2014年9月)

***

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おまけ写真で、別の日に撮った第1ターミナル展望デッキ南端からの風景、FedExの飛行機の鼻先に芝山鉄道の高架と芝山千代田駅が見えます。

前の記事:山万ユーカリが丘線乗車記

福島臨海鉄道訪問記

2014年の年末、福島県いわき市で昼までには終わる用があり、午後は福島臨海鉄道でも見てこようかと、カメラ持参で行ってきました。

福島臨海鉄道は常磐線泉駅から小名浜駅まで伸びる全長5.4kmの貨物専用線。腕木信号機がまだ残っている事と、エンジ色で渋いDD13スタイルのディーゼル機関車が走っている事が魅力の路線です。JR貨物時刻表を見るとここを貨物列車が走るのは6時台から13時台までに3往復、時間の都合により最後の1往復しか見られませんが、せっかく行くのですからしっかり記録に残したい。

泉駅13時前着の普通列車を降りて、メインでない山側の出口を出て線路際を歩くこと数分、駅近くで非常にありがたい腕木信号機とからめて撮れる有名な撮影場所にたどり着きました。快晴で風もなく割と暖かい中で待つことしばらく、遠くからホイッスル音が聞こえ、運転されている事が分かりホッとします。

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赤いディーゼルが姿を現した時は、機関車後ろにコンテナが積まれていなかったので一瞬単機かと思ったのですが結構長い。貨物列車がゆっくり通過の後しばらくして、ガチャンという腕木信号機の動く音が青い空に気持ちよく響く、久しぶりにこの音を聞けたなぁ。いいなぁ。しかし写真を見ると背景がごちゃごちゃ、もっと工夫して撮るべきだった。

次は46分後に折り返す下りを撮ります。下りの撮影場所も泉駅近くなのでありがたい、しかも両方常磐線の線路の山側、線路沿いを歩くと数分で着きます。それにしても大逆光だ。ここは朝早い下りに適した撮影場所、常磐線をアンダークロスした海側にでも移動しようかとも考えますが、今日はここで撮影するために一眼レフに重たい望遠レンズを持って来たのだ。ここで待とう。

泉駅にはEH500の引く貨物列車が上野方面から到着、この貨車が福島臨海鉄道に受け渡されてここを走る事になります。到着した列車は泉駅の配線の関係でか、駅構内から完全に仙台方にはみ出して一旦停車し、バックして戻ります。列車はEH500が牽くとしてはとても短いですが、福島臨海鉄道のDD13タイプが牽くとすればけっこう長い。

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猫が踏切で日向ぼっこ、そろそろ来るか。

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来た来た、何度も連写、順光で撮りたかったなぁ、またチャンスがあったら出直そう。

福島臨海鉄道、常磐線の踏切を渡って海側に大回りする形でのんびり歩いて駅に戻ります。お腹すきました、駅前で何か食べて帰ろう。そば屋でかつ丼でも食べたいな。しかし特急列車の停車駅だというのに駅前には飲食店が全く無いではありませんか、あるのは駅構内コンビニのおにぎりぐらい、それを買ってベンチに座って食べるのも空しい。水戸まで戻って食べるか、そうだ、バスに乗って小名浜まで行ってみよう。ついでに福島臨海鉄道の小名浜駅も見に行こう。

という事で小名浜方面バス停に行くとバスは行ったばかりで約30分待ちます。やっと来たバスは前後にドアがあって、右は2人掛け、左は1人掛け+補助席というのでなんか懐かしい。小名浜は10年ちょい前に車で来たことがありますので、少し土地勘があります。だいたいこの辺かなというところで降りて、海側へ少し歩くとドンピシャ、すぐに小名浜駅の泉側踏切にたどり着きました。だいぶ日が傾きはじめ、寒くもなってきましたので、食事より撮影を優先させます。

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踏切から小名浜駅側を望む、腕木信号機が2本並びます。ここで出発風景を撮るのも良さそうだ。

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泉側、こっちにも腕木信号機が2本。

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車庫もすぐそばにあり、左がお昼にも見たDD55 31、右がDD56 1。(フェンスの外から撮影しています)

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こんなのもいた。昔はお邪魔虫とか呼ばれていた貨車移動機。メインの機関車と同じカラーに塗ってもらえたとは幸せな奴である。ボンネット上にパレットが乗せられてますが現役っぽい。

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本社前に保存された昔の機関車の台車。ボディーはどんなんだったんだろう。

本社と道路を挟んで反対側にあります昔ながらのラーメン屋さんでの遅い昼食。ここで食べたおばあちゃんの作る味噌ラーメンは、空腹だったのと外が寒かったのもあるのですが、スープの栄養分が体に染み渡るのを実感するほどに美味しかった。またバスに乗って泉に出て、上野まで普通列車で帰ります。今回は青春18きっぷで来たのです。

(訪問は2014年12月)

御殿場線乗車記

2014年最後の日曜日、使い切れるかどうか分かりませんが、買ってしまった青春18切符で御殿場線に乗りにやって来ました。

国府津11:23発沼津行きはたったの2両編成、車両は313系3000番台という新しい電車ですが、座席配置は113系や115系と同じ昔ながらのセミクロスシート、先頭車進行方向右側のボックスシートに座ります。それにしてもこのボックスシートはシートピッチは広めだし何より窓が大きくて快適です。ワイドビュー近郊電車と言ってよいでしょう。出発時間が近づくにつれ乗客はどんどん増え車内は満員に。ちょいと立ってかぶりつきなんて出来る状況ではなくなり、私の前には若い女性も座りカメラなんて取り出せる雰囲気でもなくなってしまいます。

それでは出発、天気がいいので前に富士山がドンと見える。東海道本線上り線をオーバークロスして進むと左手に車庫が広がります。高速道路からよく見てましたが電車から見るのは初めてです。休日の昼前だからか休んでいる車両は多く、217、231、233系全部揃ってます。この車庫は駅から遠くて昔(30年以上昔)はクモハ40が職員輸送で駅との間を行ったり来たりしていましたが、今はどうなっているのでしょう。

さて、この御殿場線と言えば丹那トンネルが開通するまではメインルートの東海道本線で複線だったところでして、戦時中に単線になるも、今ももう1本の線路のあった路盤やトンネル跡が残り、兵達が夢のあと…的風景をずっとたどれるのが一番の見所だと私は思っているのですが、肝心のどちら側に見えるのかを予習して来なかった。残念ながら撤去された線は今のところほとんどが左側みたい。

松田の手前で小田急線をオーバークロス、御殿場線車内からはあさぎり号の走る短絡線の全貌がよく見える。ここだけは一回乗った。またテープ音声の車内放送の聞いて、松田の発音は3文字同じトーンではなく、最後のダが下がるというのも知る。

松田駅では小田急からの乗換え客かどっと乗車、立ち客で左側車窓もほとんど見えなくなってしまいます。空にはパラグライダーふわふわと浮いている。いい天気の日曜日の風景だ。次の東山北駅で右側に見えるマンションはみんなベランダに布団を干している。ここにもいい天気の日曜日の風景だ。しかし家もやっておかなければと、年末の慌ただしさを思い出してしまう。

この辺りから谷が狭くなり、御殿場線らしい風景になって来ます。山北ではたくさん乗客が下車。普段御殿場線に乗らない帰省客が多いようで、Suicaで乗ってしまった客が多く精算はなかなかスムーズに進まない。こんなに下車する人が多いのに無人駅なんだ。昔は東京発の普通列車で付属編成が山北行きというのもあったはずなのに。ここで交換する電車も2両で同じように混んでいる。

出発の前に運転席後ろのカーテンが閉められます。ここからトンネルがあるようです。出発してすぐに堀割の中、ここは桜の時期に有名な撮影ポイントだ。ここからが御殿場線車窓の一番のメイン、撤去された線のトンネル跡が見える区間なのですが左側だった。この線は南側に座るのがよかったんだな。進行方向右側に拘るのなら沼津側からの乗車だ。しかし南側に座ると富士山が見えなくなってしまう。難しい選択だ。

山裾の高い位置に高速道路が見える谷峨駅からは、嬉しいことに撤去された線がしばらく右側に、トンネル跡は見られませんでしたが、撤去された橋の基礎を一瞬ですが見る事が出来ました。

駿河小山を出たあたりから右手に富士山、近くから見ると見事だなぁ。写真は撮ってないので貼れませんが、どう見事なのかは日本人なら解ってもらえるでしょう。D52が保存されている公園を見て御殿場に到着。

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ほとんどの乗客が降り、ボックスシートは私一人だけになり、やっとのびのび出来ます。しばらく停車するみたいで、ここで乗車した電車の写真が撮れました。側線には3両編成の313系が止まっていて、こっちはロングシート、これに当たらなくてよかった。交換する上り電車はとっくに着いているのになかなか出発しないと思っていたら隣のホームに小田急ロマンスカーが到着。60から70パーセントぐらいの乗車率で、帰省客なのかキャリーバックを引きずってる人が多い。この電車への乗換え客も多く、私のボックスシートもまた4人になって出発します。

富士山の右手前ぐらいにとても広い枯れた草原地帯が見えるのですがなんなんだろう。たぶん富士サファリパークだろうと思っていたのですが(ずいぶん広いんだなぁ~と)、帰ってグーグルマップを見ると、なるほど、ここが自衛隊の東富士演習場だったんだ。

御殿場からは軽やかに坂を下って行きます。富士山もだんだん後方へと移ってゆきます。御殿場沼津間には途中2か所の駅にスイッチバック跡が残っていたそうなのですが、全く気付かないで通り過ぎてしまいました。

沼津に到着します、これは東海道本線に乗っていても分かる事なんですが、沼津駅へ至る留置線含めた線路の数(束と表現するのがいいのかな)は、東海道本線のよりも御殿場線の方が多い。これも一つの御殿場線が昔本線だった名残でしょう。

次に乗車するのは13:07発の富士行き、私の時刻表も、Webサイトの駅から時刻表も、駅に掲示してある時刻表も13:07とあったのですが、電光掲示板と駅案内放送は何故か13:12発。少し時間が出来たのでホームで天ぷらそばを食べて行きます。東京の立ち食いそば屋さんでは、混雑時に通行の邪魔にならないようにするためか、壁で囲ってある中で食べますが、沼津駅のは吹きさらし。寒い中食べるのもなかなかいい。塩辛い汁なんですが、それがとても美味しい。

(乗車は2014年12月)

次の記事:岳南鉄道乗車記

岳南電車乗車記

御殿場線の次は東海道本線を沼津から吉原に出て岳南電車。ここは2010年の2月にとある鉄道趣味仲間一緒に来た事があります。その時は貨物列車、そして当時全国でここだけで行われていた突放作業を見るのが目的でしたので、貨物列車の走らない岳南富士岡より先は行っておらず、乗りつぶしに関しては未達成。という事で末端部に乗車するために、約5年ぶりに出直して来ました。

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タイミング悪く電車は行ったばかり、誰もいないホームで約30分、次の電車を待ちます。

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やって来ました1両の電車、広いスペースの真ん中を走らず、遠慮するかのように隅の方を走ってきます。この真ん中のスペース、かつてはJRとの貨車の引き渡しがされた場所でした。その貨物も2013年3月で運行終了、会社もそれを機に岳南鉄道から分離され岳南電車になっています。

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乗車します7003、この顔はどうも違和感で一杯。スカートが無い事と、顔の下半分も赤く塗られたことで、元京王3000系のイメージはすっかり薄れ、地方鉄道のディーゼルカーみたいに見えます。

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普通なら違和感があるはずの方のパンタグラフ側。キリリと顔が引き締まり、こっちの方が正しいようになってしまったと感じるのは私だけか。

それでは吉原13:59発の電車で出発します。乗客は10人ぐらい、一番前の席でかぶりつきを楽しませてもらいます。昔の発車ベル(電鈴のベル)が鳴り気分が盛り上がります。

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東海道本線と分かれ右へ進路をとりますと正面に富士山がドーン。いい日に来た。5年前ではこの場所で撮影するも貨物が来る時に富士山は雲に隠れてしまったんだ。ジヤトコ前駅では4,5人の乗車がある。次の吉原本町は有人駅でここも昔の発車ベルが鳴る。そして本吉原、左側の敷地は元は貨物ヤードだったところだろう。その次の岳南原田もそうだ、今は葬祭場が建っている。

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岳南原田で上り列車と交換し、ここから岳南富士岡までが、岳南電車で一番車窓が面白いと私の思う区間、まずは工場の中を突き進んで行く。

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工場を抜けると左に貨物ホーム跡が見え、広い構内の比奈駅に到着。5年前はここで突放作業を見たんだ。ヤードはそのまま、架線まで張られたままで残り、線路は錆びついているものの、昔とほとんど変わらないのではないか。今日はたまたま貨車が1両もいないといった光景にも見えます。この駅の外には古い小田急の車両の廃車体がありましたが、無くなってしまったようだ。

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比奈を出ますとまた貨物ヤード跡、ここも昔のままで、たまたま今日は貨車が1両もいないみたい。

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岳南富士岡、機関車や貨車が脇で身を寄せ合っている姿に寂しさを感じます。

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ここから3駅、2.8㎞が私の未乗車区間、ここを乗るためにはるばる青春18きっぷを使ってやって来たのだ。富士山は左横へ、正面には愛鷹山がどんどん迫ってくる。こうしてみると結構嶮しそうな山だ。

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右へカーブが続き電車は海に向かって走るようになる。新幹線の高架が見えてきた、それを潜った所が終点の岳南江尾駅、あっけなく到着です。

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ここで車両交換が行われます。今度の発車は緑の2両編成の電車、かぐちゃん号だ。

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予定では駅の周りを散策するつもりでしたが中止、緑の電車に乗る事にします。この駅では3分の滞在、しかも外にも出ないで後にします。

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2両編成のかぐちゃん号、車内は貫通路が広く見通しが良いため、赤い単行電車の3倍ぐらいの長さに感じます。岳南富士岡で一旦下車し機関車を見てから帰ろうと思います。

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一つの時代が終わったんだなぁ~という寂しい光景だ。そして駅は無人になってしまったんだ。

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でも猫はちゃんといた。

吉原に帰る電車を待つのですが、次の岳南江尾行きが折り返してくるので、もう一回岳南江尾に行ってみる。こういった時にフリー切符は助かります。

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今度は赤いの同士の並び。

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7002はちょっと早いですが賀正のヘッドマークを付けている。ちょうど新幹線と並んだ。またも駅の外に出ることなく、3分の滞在で吉原へ戻ります。

(乗車は2014年12月)

前後の関連記事
前:御殿場線乗車記
次:伊豆箱根鉄道・三島駅の渡り線乗車記

伊豆箱根鉄道・三島駅の渡り線乗車記

岳南電車の乗りつぶしを終え、家へと帰るのですが、ちょっと三島で寄り道します。修善寺を発着する特急踊り子号の通るJR三島駅構内の渡り線、つまりJR東海道本線と伊豆箱根鉄道駿豆線の接続する線路を一度乗ってみたいと前々から思っていたのです。

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まずは三島から乗車します15:41発の修善寺行き3000系の2次車。写真の左側がJRのホーム、右側が伊豆箱根鉄道のホーム、間の斜めに横切っている線路が、私の今日の目的の渡り線です。写真の電車で2駅目の三島田町駅まで行って、戻って来る時にここを乗ろうと思います。

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三島田町に着いて、一旦外に出て140円の三島までの切符を買い直し三島方面のホームへ、まずは15:58発三島行きの3000系1次車が到着。

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反対のホームで交換待ちの元西武1300系修善寺行き電車はしばらく停車。

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そして来ました16:01発の特急踊り子114号東京行き、普通列車の3分後の続行運転なのです。

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うわーい!185系は久しぶりだ。
185系は、中学生高校生時代から東海道方面に遠出するのに帰ってくるのに度々特急券を払わないで乗り、本当に一言でいえば「お世話になった」車両なのだ。特急券を払わなかったのは、古いファンはご存知の通り、この電車は普通列車としての運用が数多くあったため。決して不正乗車してたわけではないので念のため。

さて、そろそろ私の特にお世話になった185系も引退の時期なのですが、後継車両はなんだろう。やはり新型車の登場する中央線や、房総地区で本数削減により余ってくるE257系なのだろうか、そして一番気になるのがこの修善寺編成、中央線E257系付属編成のクモハE257が先頭に出れば楽しいなぁなんて思いますが、ひょっとしたら廃止もあり得るかも、熱海・三島間のみを受け持つJR東海にとっては、とっとと廃止にして、その客ごっそり新幹線に頂き…と行きたいところでしょう。そもそもお客さん乗車しているのか、この時代に東京から修善寺に直通する特急電車があるなんて、鉄道ファン以外はほとんど知らないのではないか。

と、心配していたのですが、さすがは12月最後の日曜日です、5両編成どの車両も温泉帰りのグループ客で、ほぼ70~80%の乗車率。私の乗車した最後尾車両の自由席も窓際の席が2つ3つしか空いていない状態でした。三島まで特急車両に乗りたい人がほとんどではないか、そんなことも無し、三島で降りる客は私ぐらいで(ちょっと恥ずかしい…)、三島から乗車してくる人も多かったです。

とにかく伝統ある列車の盛況な姿に嬉しくなります。私の知っているのは153系の急行伊豆時代からですが、80系電車、客車時代まで遡れば戦後間もないころから走り続けている列車なのです。しかしこれだけ乗客がいればJR東海は益々廃止にしたいだろうなぁ。

さぁ、僅か3分の乗車ですが185系の乗り心地を楽しみます。気のせいでしょうが、さっきよりバネが柔らかく、優しく左右に揺れる感じ、「どうぞ東京までごゆるりとおくつろぎ下さい」とでも語りかけているよう。さすがは特急電車だ。そして出発してすぐに車内放送が始まります。三島での乗り換え案内の他に、三島からは特急になる件、三島駅で降りる場合JRの改札からは出られません等、説明すべき事がとにかく多い。あっという間に三島広小路を通過、そして左からJR東海道線が近づいてきて、1回、2回と車体をくねらせて渡り線を通り車体を東海道線ホームに横付け。

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これがその渡り線通過シーンなのですが、乗ってしまえば大した事は無い。

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これが通ってきた伊豆箱根鉄道駿豆線からの渡り線。曲がり具合が芸術的だ。ここを通る電車に乗るよりも、ここを通る電車を見る方が楽しいかもしれない。手前のホームが、カーブを曲がってくる電車が激突しないように削られているのに注目。

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無事にホームに激突しないで到着した踊り子号、さぁ後は東京までひとっ走り。

ポイント部の線路とホームの間には木の角材が挟まれています。カーブを曲がってくる電車の横圧で、線路が変形しないようにこうしているのだと思いますが、これがスポンと抜けたりしたら危険ではないだろうか。

ホームのこのポイントの脇には、立ち食いそば屋さんがあり、カツオ出汁のいい匂いがたまりません。せっかくだから食べて行こう。メニューと価格から3時間前に食べた沼津駅のと同じ系列のようだ。ここも天ぷらを一回汁で温めてからそばに載せてくれる。美味しいなぁ~。ここのそばは私と相性が合うんだろうな。ペロッと食べられる。

(乗車は2014年12月)

前の記事:岳南電車乗車記

水郡線乗車記

2015年初の乗り潰しは水郡線。いつもの武蔵野線むさしの号、快速ラビット、なんと205系の普通列車、719系の普通列車を乗り継いで郡山。これで半日終わってしまうのですが、小山から先を昼行列車で東北本線を下るのは実に約30年ぶり、とても懐かしくて楽しかった。

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それでは立ち食いそばで腹ごしらえした後に、郡山11時59分発の常陸大子行きで出発します。いい席はすべて埋まり進行方向左側の通路側の席で我慢。

まずは左手に見える郡山工場(今の正式名称は郡山総合車両センター)、どんな車両がいたか忘れてしまいましたが、何より印象に残ったのが建物窓やフェンスにつけられたこの工場のマークというかエンブレム。

ヘッドマークぐらいの大きさで中央にレールの断面、その下に1928(sinceの事だろう)とあります。全体的にボテッとした感じなのですが、どことなく寒々しい色使い、そして今の日本では絶対に使用しないだろう数字のフォント。何なんだこれは…、とある思想の臭いがプンプンするぞ。そうだ、これは旧ソビエト社会主義共和国連邦やその関係国の鉄道施設や工場でよく見られるデザインだ。ここも歴史のある工場です。昔、そっち方面の影響を多少なりとも受けた人によるデザインなんだろうなと想像します。正直その思想云々関係無しに今となってはクールでとてもかっこいい。ちょっと感動した。

次に驚いたのは安積永盛駅、40年近く鉄道ファン時刻表ファンをやっていて、これを「あづみながもり」と読むものと思ってました、正解は「あさかながもり」、恥ずかしい。

それでは本題の水郡線ヘと入って行きます。東北本線と別れ進んで行く先の光景は、農地の中に林がところどころあるといった、ありふれた農村風景。田畑は枯れ、曇り空なので安達太良山の上にあるような本当の空も見えない。林の木々も埃を被ったようだし、所々に残っている雪も薄汚れている。とにかく季節が季節なので枯れ切った光景で色彩に乏しい。そして中途半端。どこかでドーンと積もる雪でも見たくなって来た。そうだ、次回は上越方面にでも行ってみよう。

車内の方は半分ぐらいが青春18切符で用も無く乗っている人たち、私もそうだ。そして約半分は地元の人、安積永盛の次で下車する人もいたし、小さな無人駅でも大抵一人二人の下車客がある。泉郷駅では5人も乗ってきた。この列車は実は臨時列車で毎日運転されるわけではないのですが、皆さん実に上手に乗りこなしている。

雪が降ってきた、トンネルがある、磐城石川に到着。磐城の国か、これで浜通りか、ずいぶん早いな。磐城の付く駅がいくつか続くのですが、磐城棚倉手前ではJAあぶくま○○の表記も目にします。あぶくまとは阿武隈川の事?まだ中通り、どっちだよ。帰って調べてみますと磐城の国は浜通りだけではなく、中通り阿武隈川流域の白河郡も含まれているのでした、これで納得。

磐城棚倉駅は構内が広く、戦時中に廃線となった白棚線の終点。白棚線と言えばBRTの元祖ともいえるバス路線。調べてみたら災害やら国道の改良によって、鉄道廃線跡のバス専用区間はだいぶ縮小されてしまったみたいだ。乗りに来るなら早い方が良さそうだ。

だんだん晴れて来た。後で知るのですが、ちょうど磐城棚倉付近が阿武隈川流域と久慈川流域の分水嶺だったようだ。昔は藁葺き屋根だった民家を、金属葺きに改修したような民家がいくつか見られる。屋根が太陽の光をキラキラ反射して眩しい。

矢祭山付近から久慈川がよく見える。とても澄んだ綺麗な水だ。青春18切符の乗客がそわそわしだすとそろそろ常陸大子、この列車の終点で水戸へは乗り換えなくてはならない。常陸とあるからもう茨城県なんだろう。

阿武隈川流域から久慈川流域に変わるのもはっきりしない、福島県・茨城県の県境もはっきりしない、これが水郡線の特徴だろう。ついでに言わせてもらえば、常陸大子・常陸大宮・常陸太田、水郡線の主要駅はどれも似たような名前で、どれがどこだったか今一覚えられない。大子・太田の漢字は“大”だったか“太”だったかも覚えられない。常陸太田から昔出ていた日立電鉄、その先の日立市と、読みは同じなのに違う漢字の地名がすぐ近くにあったり、ややこしいったらありゃしないと昔っから思っていたのでした。

常陸大子で乗り換える水戸行きは、跨線橋を渡っての別ホームに停車。接続時間は4分しかない。既に乗客が多く、運よく後ろ向き席でしたが進行方向右側で窓側に座ります。出発し坂を転がり下りるように走って袋田駅。駅前には滝行きのバスが止まっている。日本の滝ベスト3に入る有名な滝ですが、こんな小さな駅からバスでのアプローチだったんだ。観光客が10人ぐらい乗車します。

それにしても何度も渡る久慈川はきれいだ。しばらく進むと吾妻線の小野上と並ぶ、線路のバラストの採掘地の西金、どの辺で採っているのだろう。このあたりから川の水が濁ってきたような気がする。

乗客はどんどん増え、立ち客も目立ってくる、そして常陸大宮でさらにどっと乗車。もうこうなると近郊路線、まだ古くない2扉車のキハ110系が撤退し、3扉のE130系が新しく入ってきたのも、これだけ混雑すればと納得します。ラッシュ時はもっと混雑が激しいんだろう。

車内はキャリーバックをボックスシートの中に入れて、座席を占領してしまっている人も多い、そろそろこれもベビーカー同様にマナー向上の呼びかけをするべきだろう。しかしルールはどうしたらいいのだろう。網棚の上では危険だし、ロングシートに座って足に挟むのがいいのか、ドアの横に置くのがいいのか。いろいろ意見が割れそうで難しい。

瓜連駅の駅前にはバス停のスタンドが大量に廃棄されています。頭が丸でバス停名が書かれていて、真中が四角形で路線図や時刻表が書かれているもので、見ようによっては人が立っているようのも見える。これがどっさり様々な方向を向いて無造作に置かれているのはとても異様な光景。近くでバス路線が廃止されたんだろう。

郡山を出てから2時間50分、やっと上菅谷に到着。ここで降りて常陸太田への支線に乗り換えます。

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左が私の乗車してきた常陸大宮発水戸行き列車で、ここ上菅谷には14:49に到着。右奥がこれから乗車します上菅谷始発の常陸太田行きで14:52発。素晴らしい乗り継ぎスケジュールだったのですが、隣のホームへは構内踏切を渡らなくてはならない。構内踏切は水戸行きが行ってからでないと開かない。水戸行きもなかなか発車しない(これはその時に撮った写真)。

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まぁ待っていてくれるだろうと高を括っていたのが悪かった、踏切が開いて線路を渡りきったところで、常陸太田行きはあっさりと出発してしまう。郡山方面から常陸太田行きに乗る乗客なんて少ないはず、走って乗る事を意思表示すべきだった。次は約1時間後で15:46発、待つしかない。

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私の乗る常陸太田行きが来る15分前に、常陸太田発水戸行きと水戸発郡山行き列車が交換、私と一緒に降りて常陸太田行きに乗りそびれた鉄道ファンと思われる若い男性は、スケジュールが押しているのかこれで水戸に帰ってしまう。それにしてもどうしてさっきは同じホームで乗り換えにしなかったのだ。どうも真ん中の2番線には水戸側に信号機が無く、水戸行き列車は出発できないようだ。

さぁやっと来ました常陸太田行き。なんと4両編成、一番前に乗ろうと2両の停車位置の所で待っていたのですが、先頭車両は通り過ぎてしまいます。後ろの車内は空いていて余裕でボックスシートを独り占めできました。車窓ですが久慈川を渡る付近が視界が開け、ちょぼちょぼと存在する林が北海道っぽくも見えたような気がしました(左側車窓です)。終点の常陸太田駅付近では日立電鉄が右側から寄り添ってきたはずですが、その面影は全く見つけられません。この辺りは廃家屋がよく目につきます。

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支線の終着駅、常陸太田は水郡線で水戸の次に乗降客が多い駅なんだそうだ。出札口は混んでいて人が並んでいる、こここで一回外に出ようものなら6分後の折り返しには乗れないだろう。青春18切符ですので出札せずにまた車内へ。

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上菅谷から水戸までの最後の区間は、駅間距離が短く、走っては止まるを繰り返します。すっかり暗くなってしまった頃、水戸に到着。水戸からは普通列車のグリーン車でゆっくり帰ります。

(乗車は2015年1月)

ガーラ湯沢線乗車記

年末年始、青春18きっぷ日帰り乗りつぶし旅行の4回目は、北陸新幹線開通で見られなくなります、ほくほく線を走る特急はくたか、475系(413系含む)の普通列車、189系の妙高号のお名残乗車をしてこようと思います。そしてついでにガーラ湯沢線の乗りつぶし、正式にはガーラ湯沢線という名称は無いようで、走っているのは東京から来る新幹線ですが、実際は在来線の上越線の一部区間という扱いらしい。

朝4時台の青梅線下り始発電車からスタートしまして、拝島で八高線下り始発電車、高麗川でまた始発のディーゼルカーを乗り継いで7時前に高崎駅着、続いて115系の普通電車で上越線を北上、水上で乗り継ぎ「トンネルを抜けると雪国だった」を久しぶりに味わい(この日はトンネルを抜ける前から雪は多かった)、家を出てから4時間ちょっとで越後湯沢に到着。接続が良かったのと余裕でボックスシートに座れましたので意外と早く着いたなという印象です。

ガーラ湯沢へは青春18切符では乗れない特急列車になりますので切符を購入します。どこで買うのか。指定席も発券できるタッチパネル式の券売機で、自由席特急券からスタートして購入を試みるも、越後湯沢~ガーラ湯沢の短区間には対応してないようで途中から先へは進めず。次に普通の券売機、こっちは最初の画面からガーラ湯沢のボタンがある。タッチすると、乗車券だけか、特急券だけか、両方かを選択するように画面が変わりまして、両方を選択し240円入れると、乗車券と特急券きちんと2枚に分かれて出て来ました。

乗車案内も分かりにくい、まず改札上の案内には下り列車は新潟行きしか掲示されてません。ガーラ湯沢行き列車は別の所に発車時間が掲示されています。新幹線ではないという事なんでしょうか、越後湯沢からは乗らないでよ…という事なんでしょうか。ホームの乗り場案内も解りにくい、今度のガーラ湯沢行きは東京から16両編成で来た編成の前8両のみなんですが、「中央待合室より右手前よりで待て」との事。日本語は難しい、中央待合室をどう見て右なのか、右手前というのは、右手の前側なのか、右の手前側なのかで解釈する場所は違ってくる。普通に○番乗車口や○号車の乗車口と案内した方が全然解りやすいと思うのになぁ。

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到着しました9:34発のMaxたにがわ403号、ここで切り離し作業を行い手前の8両がガーラ湯沢行きとなります。もちろん2階席に乗車です。

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切り離し作業を終え、出発したと思ったらチャイムが鳴って「ご乗車ありがとうございました。間もなく終点…」と車内放送が始まります。

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本線と少し離れ下へと下り、本線をゆっくりアンダークロス。トンネルに入ったと思えばすぐ出て、出たところがガーラ湯沢駅。

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距離は1.8㎞、乗車時間は3分で到着です。

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越後湯沢方面を望みます、左の防音壁(防雪屋根??)で囲われた高架が上越新幹線本線。昔は防音壁は無く、本線側からガーラ湯沢駅が見えたような気がします。

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右側は保線車両の基地。駅の横に保線車両基地を作ったのではなく、保線車両基地の横に駅が作られた。面白い経緯の駅だ。

階段を上がって改札を出てみますと、本当に改札を出たところがスキー場でリフト・ゴンドラ券売り場、奥へ進むとスキー・スノーボードのレンタルショップ。越後湯沢から一駅乗るのではなく、東京から乗って来てスキーをやってこそ、この路線の革命的な凄さは実感できるんだろうな。レンタルショップ前は平日なのに結構人が並んでいる。週末はかなりの混雑が予想されそう。せっかく新幹線で1時間ちょいで着いたのに、ここで延々と並ばされたんではストレスがたまるだろう。越後湯沢までの普通電車には、自分の板・ボードを持った人がたくさんいたのですが、この駅は少ない。また、駅構内には温泉施設もあるのですが今は営業時間外。

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外に出てみよう。東側がメインの入り口で駅前は駐車場、旅館からの送迎バスも来る。

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反対側の西側はもうゲレンデ。昔は私もスキーに夢中になった時期があったんですが、社会人になって忙しくなってからは全く行かなくなってしまった。今やったらうまく滑れるかなぁ。

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さぁ戻ろう10:23発のMaxたにがわ408号東京行き、たぶんここからこの列車に乗るのは私一人。そろそろ引退の予想されますE4系を観察する絶好の機会です。

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巨大イカのようにヌメヌメしてそうに見えなくもない先頭形状と、車体全体のうち客室部分が占める割合がほんの僅かしかないのが楽しい新潟側先頭車のE444型。

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2階のグリーン車と1階の普通車で窓割りが全く合わない新潟側から2両目のE446型。

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この編成ではわずかしかない台車の上の平屋席、ここには一度も座ったことがない。

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自由席1階席の2+3人掛けシート。

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自由席2階席の3+3人掛けシート。2階建て新幹線と言ったらこの座席でしょう。昔は中央の座席には折り畳み式の肘掛けがありましたが、今は無いようです。窮屈な座席ですが、隣に人がいないときはこっちの方が快適に感じます。

このE4系、1994年デビューの初代オール2階建て車両E1をルーツとする車両で、1997年にデビューし、16両編成での定員は1634名、確か当時は1編成で最も座席数の多い列車としてギネスブックに載ったんではなかったっけ。E1やE4の登場した頃はまだまだ日本も元気でした。行楽客の大量輸送、群馬や栃木方面への通勤輸送に大活躍したものの、その後は後継車として2階建て新幹線は登場していません。バリアフリー化の影響もありますが、やはり人口減少、高齢化による通勤通学客の減少で需要がなくなってしまったんでしょうか。数年後に控えるE4の完全引退は、ブルートレインの引退以上に日本の変化【ここでは衰退】を象徴するものかもしれません。

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公衆電話にテレホンカードの販売機だ。今使う人はほとんどいないだろうな、でも公衆電話はN700はもちろん北陸新幹線用E7・W7にも付いている。

3分の乗車で越後湯沢に戻ります。越後湯沢では特急はくたかからの乗り換え客と思われる人々がどっと乗車します。北陸新幹線が開通したら、この乗客もいなくなり、上越新幹線は支線のような扱いになってしまいそうです。

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北越急行ほくほく線を走る「特急はくたか」お名残乗車記

ガーラ湯沢線の次は、3月に控える北陸新幹線の金沢延伸により廃止されてしまう、北越急行ほくほく線を走る特急はくたか号に直江津までお名残乗車をしようと思います。

この列車には160㎞運転を始めた頃(たぶん2002年だ)、やはり直江津まで乗車いたしました。しかし、この時は何故かダイヤが大幅に乱れ、ほとんどがノロノロ運転、この路線ならではの高速運転を全く体験しておらず、最後にもう一回、どうしても乗らずにはいられなかったのです。

ガーラ湯沢線に乗車する前に撮れた写真から掲載しますが、この日のはくたか4号は基本編成・付属編成とも北越急行所属の赤・赤編成。2013年11月に特急はくたかに乗車した時に、北越急行所属もJR西日本所属も共通運用になった事を知り、赤・赤で揃う事はなかなか無いとの認識だったのですが、運良く一発目で出会えました。

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連結部分を見ると正面帯のカラーが違う。左側が681系(クハ680)、右側が683系(クモハ683)という事なんだそうだ。

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流線型側の顔もライトの形状が違う、こちらが金沢側の683系(クロ683)。

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こちらが越後湯沢側の681系(クハ681)。

そもそも私は681系と683系がどう違うか、新しい車両については勉強不足でよく知らないのですが、ざっと調べたところ、国鉄181系と183系程の違いは無い。それよりも目から鱗だったのは、681系が登場した背景について。当時、北陸新幹線は一部スーパー特急方式で計画されており、この681系は、そこを160㎞で走らせるために生まれた車両だっだんだそうだ。ならば北越急行はスーパー特急方式の路線、いっその事スーパー特急方式の新幹線路線だったと言っても良いのではなかろうか。新幹線を名乗るというのは政治的な事がいろいろ絡んできますので難しそうですが、規格に関しては充分クリアしているだろう。こう考えてみると、今年3月に北陸新幹線がフル規格に変更されて金沢まで延伸する事により、特急列車の走らなくなる北越急行ほくほく線、そして160㎞運転を終える681・683系は、一つの時代におけるその役目を、立派に務め上げたんだなと敬意を表したくなる。

***

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私がガーラ湯沢線の後に乗車しますのは10:48発のはくたか6号、こちらは基本編成も付属編成も青帯のJR西日本編成。

青春18切符では乗れない列車なので切符を買うのですが、直江津までたった49分の乗車なのに、乗車券1,380円、自由席特急券1,160円、合計2,560円となり青春18きっぷ1日分より高い、今日は何としてでも160㎞運転をやってもらいたい。

高速運転をしっかり味わいたいですので、モーター音の聞ける6号車のクモハに乗車します。また、いつもは揺れの少ない車体の中央付近に座るのですが、今日はデッキドア近くに座り、ドア上の電光掲示板に速度が表示されたら、しっかり写真で記録に残しておこうと思います。(速度は表示されませんでした)

それでは定刻に出発、VVVFの音を高らかに出発したと思ったら、架線に積もっていたんだろう雪が、私の座席の窓にどっさり落ちてきてびちょびちょに、一時外がよく見えなくなってしまう。座席を移りたくてももう混んでて移れない。

すぐに車内販売のお姉さんがカートを押してやって来ましたので、コーヒーを注文します。出発したばかりなので淹れ立てかと期待して買ったのですが、口をつけてみれば相当な時間ポットで熟成された味だ。まぁこれも嫌いではないからいいか。レシートにははくたか6号と打たれていましたので、紛失する前に写真に残しておこう。しばらくしてすれ違うはくたかも赤・赤編成でした。
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六日町を出て上越本線と別れ、いよいよ速度をどんどん上げて行く、揺れも激しくなってきた、いいぞいいぞ。トンネルだ、信濃川まで一気に抜けてしまう長いトンネルだ。どんどん加速する、耳がキーンとしてくる、たぶんこの辺で160㎞出ているんだろう。途中に信号所があって通過するのですが、信号所に入った所でトンネル断面が大きくなるためか気圧が少し低くなるようで、耳キーンが少し弱まる。ポイントを渡る音がし信号所が終わり、再び細いトンネルに入って行くとまた耳がキーンだ。目(視覚)と耳(聴覚)の他に、中耳で気圧を感じるとる路線なんだな、ここは。長いトンネルを出る寸前も耳がキーンとなる。

トンネル出た、減速し左にカーブし飯山線との接続駅・十日町を通過。ここで別の車内販売のお姉さんが来た。2人も乗車していたんだな。もうコーヒーは飲まない。減速して信濃川を渡りまたトンネル。ここからはそんなにスピードは出さない。一回地上に出て松代を通過し、またトンネルに入るとどんどんスピードを下げ、トンネル内の信号所では待避線に入って止まってしまった。車内放送で対抗列車が7分遅れるのでしばらく停車しますとの事。私がこの路線に乗車する時はいつも遅れが発生してしまうようだ。

しかし、対抗列車のはくたかがやってくると、ゴーッという音が大きくなるのと共に、また耳がキーンとしてくる。ここは退避してても中耳で感じる路線なんだな。出発しますと遅れを取り戻すかのように一気に加速、気持ちがいいぞ、トンネルを出るともう日本海側、こっちは快晴だ。

大きく車体を傾けて左へカーブを切り、信越本線の上下線の間に入って、飛行機が滑走路に着陸するかのように降りて行く。犀潟駅を通過。コンテナヤードがあって頸城鉄道が出ていた黒井を通過し、関川を渡って直江津に到着。無事に160㎞高速運転を体験できて良かった良かった。

車内販売のお姉さんも降ります。Suicaペンギンのエプロンをしてましたので、この先のJR西日本は管轄外、でも今までもほとんどが北越急行でJR東日本の区間は僅かだったんだよな。会社間の車内販売の受持ちルールはよく解らない、コーヒーのレシートには日本レストランエンタプライズ新潟列車営業支店直江津営業所と書いてありました。

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(乗車は2015年1月)

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関連タグ:旧建設線の第三セクター路線

北陸本線を走る「急行型電車」お名残乗車記

北越急行ほくほく線を特急はくたかで乗車した後は、やはり北陸新幹線の延伸により、路線はJRから第3セクター鉄道会社へと移管され、走る車両も電車からディーゼルカーがメインとなり、激変する区間の一部、直江津から糸魚川まで普通列車で行って帰ってくることにします。

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乗車しますのは12:08発の普通列車の富山行き、お目当ては最後に残った急行型電車475系だったのですが、残念ながら近郊型に改造された413系。車内に入ります、いい席はみんな埋まってます、辛うじて先頭車の進行方向左の山側に一つだけボックスシートが空いていたのでそこに座ります。青春18きっぷシーズンの普通列車での旅行のコツは、まずはいい座席の確保なんだろうな。ほとんどの座席は荷物だけ置かれていて人はいない。

さて、買った駅弁でも食べよう。直江津駅では30分の接続時間の間で立ち食いそばを食べる予定だったんですが、今は無くなってしまったよう。仕方なく駅弁にしたのですが、ここも昔は立ち売りもやっていて駅弁ファンにとっては有名な所、買ったのは一番安かった親子にしん弁当950円。

美味しい弁当でしたが食べ方を失敗した。出発間際に混んでくるかもしれないので、その前にと、寒いホームから車内に入ってすぐの冷え切った体のままで食べたので、重たい冷や飯を胃袋の中に放り込んだ感じしか味わえず終わってしまった。まずは席に座ったらゆっくり休み、温かいお茶でも飲んで一服、体が暖まったところで上着を脱いで、それからおもむろに駅弁を開く…、ぐらいの余裕で今度は望みたい。それと、急行型車両のボックスシート窓際についているテーブルで、駅弁を広げるのを楽しみにもしていたのですが、この近郊型に改造された413系は取り外されてしまっていて無い。

それでは出発、少年期に青春時代に数々の思い出のある急行型電車、相当乗ったと言えるでしょう。ここではその懐かしさを充分に味わうつもりだったのですが、デッキを失ったことにより急行型電車特有の静寂性というか雰囲気が全く損なわれてしまっている。昔の国鉄時代からのデッキ付の特急電車や急行電車の車内は独特の匂い(喫煙車の匂いとは別のもの)がしていたはずですが、それも感じられません。残念ながら私の求めていた急行型電車とはここで出会う事は出来ませんでした。

車窓はほとんどがトンネルで、トンネルを出た僅かな区間に駅があるの繰り返し。しかし私にとってこの区間は、夜行列車では何度も通過しましたが(唯一下りトワイライトエクスプレスで夕方も通過)、日中は初めてなのでとても新鮮です。

3つ目の名立は昔から降りてみたかった駅で、複線の通過線の両側にそれぞれ待避線を作り、そこにホームを置いた、新幹線の途中駅にあるような駅、ここで降りて通過する特急列車の写真でものんびり撮ろうかなと(次に通過する金沢行きはくたかは赤・赤編成だし…)、一瞬思いかけたのですが、次の筒石駅もこれから初めて見るわけですし、乗り続けることにします。

すぐにトンネルに入り、外に出ることなく減速して止まってしまったところが、トンネル内にある事で有名な筒石駅。ホームには駅員さんの他に、2名のおそらく地元の女子学生さんと、2,3名の鉄道ファン。今まで何度も気付かずに通り過ぎ、今日初めて見るその姿。ここでも降りてみたいなぁ、でも乗り続ける。

次の能生は海岸ギリギリにホームがある駅だと思っていたのですが違った。ここ能生付近は、1969年の北陸本線複線電化前は海側に線路が敷かれていて波をかぶって走ったと言われた所、その辺について書かれた読み物を見て、現在もそうなんだと勘違いしたようだ。

浦本を出発する前、運転席後ろのカーテンが巻き上げられガチャンと音がします。この先にトンネルは無いようだ。さっそくカメラを持った鉄道ファン2人(一人は20代、一人はかなりの高齢)が座席から飛び出してきてかぶりつき。ちょっと見苦しい。自分も同じような行動をしているのかと思うと少し恥ずかしい、今度からはさりげなくやるように気をつけよう。

糸魚川到着寸前、かぶりつきの二人が左側車窓にカメラを向けてバシャバシャ撮影していたので、何がいるのかと見てみれば、えちごトキめき鉄道のキハ122同系の気動車。これは姫新線で乗りましたが、速いし快適だし電車に全く劣らない素晴らしい車両、第3セクターになってからのこの路線を盛り上げてくれる事は間違いないでしょう。

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糸魚川で乗ってきた電車のお見送り、左写真は左から乗車しました413系、大糸線のキハ120、赤いはくたか、バックは2か月後に開業します北陸新幹線の駅。

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こんなのもいた、左のラッセル車は大糸線のDD16だろう。右のDE10 1596はどんな用途でここにいるんだろう。

次に乗る直江津行き普通列車まで46分もあるので外に出てみます。まずは新幹線側の南口へ、ここには赤レンガの車庫があったんだよな、全部撤去されてしまったのか…と外に出てみると。

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まずは新幹線の駅なのに駅前が普通の住宅地なのに驚いてしまうのですが、赤レンガ車庫は広場にちゃんと保存されていました。切断して別の場所に向きを変えてまた組み立てたみたいですが、レンガだからボロボロ崩れて大変だったのではないかと想像します、鉄骨で補強するにも相当費用がかかったはずです。柱だけは再現できなかったみたいでコンクリート製のようで白く塗られています。また駅構内にはキハ52が1両保存され、線路があるので屋外に引っ張り出せるようです。

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昔の写真も引っ張り出してみた。2008年4月の撮影ですが、この時から柱はこうだったんだ。

とにかく、これがレンガの重み、質感でです。
ここで思うのは復原されたと話題の赤レンガ駅舎の東京駅。まだ私はじっくり観察した事なく、中央線のホームから外観ぐらいしか見てないのですが、どう見たってレンガというよりタイルである(解説には厚み15㎜の化粧レンガと書いてある=つまりレンガではない)。ドーム内部の装飾品だってほとんどが軽い材質で作られているようにしか見えない。地震大国日本において、これだけ公共利用客の多い場所で、当時と同じ本物の材料の使用は不可能な事は充分承知ですが、これで保存したとか復原したとかで通ってしまったら、歴史的文化財を扱うにおいて、日本は可笑しな国になってしまうのではないかとちょっと心配です。

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まだまだ時間もあったので北口にも出てみる。海が見えたので歩いて行ってみた。しかしこの道路を潜る地下道が閉鎖されていて海までたどり着くことは出来ず。

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帰りに乗車します糸魚川13:33発の直江津行き普通電車。また413系だ、でも一番後ろの1両は急行型車両のままのクハ455だ。しかし車内を見るとデッキは撤去され急行型らしさは薄れ、何よりこの車両だけやけに混んでいる。モーター音を聞けるモハに乗車します。

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通路側シートでトンネル内に熱く響く、国鉄MT54モーターの音を楽しむこと40分、直江津に到着。写真が一番後ろに連結されたクハ455-702。サハ455からの改造車だそうだ。後で知るのですが475系は、2014年3月のダイヤ改正で運用が縮小され、糸魚川・直江津間ではもう走っていなかったのでした。いくら待っても413系しか来ません。そんな中でこの413系に組み込まれたクハ455に出会えたのはラッキーだったと言えるでしょう。また、413系の方も種車は471系、車体もモーターも更新されたとはいえ、1962年製造なので半世紀以上走り続けた車両、本当にお疲れ様でしたとしか言いようがありません。さようなら、国鉄急行型電車。

(乗車は2015年1月)

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普通列車妙高号 お名残乗車記

直江津駅で413系とお別れした後は、信越本線、篠ノ井線、中央本線経由、すべて各駅停車で東京へと帰るのですが、最後にこの電車にお名残乗車して行きます。

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直江津14:50発、長野行普通列車の妙高6号。
この駅には妙高3号として到着し、車内清掃が始まります。しばし車両を外から見学。

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普通列車なのでサボの書体はみんな黒字。国鉄のルールがここに残っています。

特急あさまで使用された189系には、窓が大きくハイデッカー構造となった指定席用のグレードアップ車両がありましたが、この編成には連結されていませんでした。両端の2両は、中間4両より窓の位置が高く、ドアにステップがあるので481系からの編入車のようです。座席については、グレードアップ車両に付いていたフリーストップリクライニングシートに交換されています。しかし最後部の1両だけ、懐かしの簡易リクライニングシートを見つける事が出来ました。ドアが開いてこの車両に乗り込んだものの、なんとここは指定席、写真だけ撮らせて頂きます。

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この白いプラスチックのレバー、懐かしいなぁ。

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背面がネットだけなのもシンプルで、今では美しさを感じます。指定席券を購入してくれたお客さんが、一番しょぼい座席というのは納得出来ませんが、この座席も最近見ず、珍しくなってしまったのでお金を払ってでも座る価値のある物かもしれません。

この簡易リクライニングシート、昭和の特急列車の代表的な座席なのですが、レバーを引いて背ずりに体重をかけると背ずりがほんの少し倒れ(一応これでリクライニング)、立ち上がるとガチャンと音を立てて元に戻る、今となっては時代遅れで情けない仕様のもの。しかし約30年前の少年期や青春時代に貧乏鉄道旅行をした私にとっては、豪華な座席のイメージが今でもあります。周遊券の利用が多かったので移動は急行列車がほとんど、たまに特急列車や、特急車両を使用した急行(能登、八甲田、シュプール号などなど)に乗車して、ボックスシートと比べてなんて快適なんだろうと、夜行列車でも快適に眠れたような気がするのです。

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洗面所も見てみます。昔とほとんど変わらないではないではありませんか。カーテンもあって、石鹸まで置かれている。

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洗面所の後ろ側、ここには冷水器があったんだ。左の四角い屑籠は、冷水器の使用済み紙コップ用だ。(冷水器についてはこちら参照)

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レバーをひねってみると、なんと熱い湯が出た。

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そしてデッキに残る、蓋式のくずもの入れ、テープで塞がれる事なく今でもちゃんと現役なのだ。おじさん、ここで嬉しくなって感激してしまった。JR東日本長野支社、長野総合車両センターの妙高号の扱いに。

妙高号は1997年の北陸新幹線長野開業時に、長野~直江津間で運行開始された列車。1998年5月の時刻表を見ると、快速信州リレー妙高号の名で8往復も運転されています。8往復16本すべてがいくつかの駅を通過する快速列車で、編成表を見ると長野側①②号車が指定席、③号車も指定席になる場合もあるとの事。

しかし3年後、一気に本数を減らしてしまいます。私の手元にあった2003年11月の時刻表を見ると、4往復、早朝直江津発の2号以外は各駅停車、指定席車も最後尾1両となり、10年以上前のこの時期に、現状の形になったといえましょう。

時刻表上は指定席が付いていて特急車両で運行されるぐらいしか感じ取れませんが、洗面所に石鹸は置かれているは、お湯もちゃんと出るは、終着駅では特急車両のようにきちんと清掃され、座席の向きも変えて客を迎えるという。今でも優等列車らしい扱いがしっかり残っているのに、本当に感激してしまった。長野まで新幹線が開業してから、長野地区にとっては在来線で唯一残った優等列車(特急しなのはJR東海車両なので除外)なので関係者の思い入れも強いのかもしれません。とにかく長い期間、腐る事なく存続し続けた妙高号には、敬意を表したい。立派に役目を務め上げたわけだ。

ちなみに妙高号は私にとっても思い入れの深い列車でして、長野に母親の生家があったことから、169系急行時代によく乗ったのです。そして私の寝台車初体験も、上野長野間の妙高5号のオハネフ13だったのです。

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自由席のグレードアップ車両に付いていた座席に座って出発します。車内は出発間際になって1両に15人ぐらい、半分がたぶん地元の人です。シートを回転させてボックス状にして一人で広々と使うような人は誰もいません、私もそれに従います。豪華な車両を普通列車に使うもんだと思いますが、この区間にはアコモ改造されたもっと豪華な快速列車くびき野号も走っている。乗客のマナーの良さが、特急車両を惜しげなく普通列車に提供できる一つの理由かもしれません。高田や新井ではビジネスでの利用に見える客も多く乗車し、かつてのリレー号らしくもなってきます。

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各駅停車ですので鉄道ファン一番のお楽しみは二本木駅のスイッチバック、そして妙高6号はスイッチバック駅での交換まで体験できます。流れは最初に妙高6号がスイッチバックして駅ホームに到着、次に長野方から115系6両編成の普通列車が到着、後から到着した長野発115系の方が先に出発しスイッチバックの後に坂を下って行く、しばらくして妙高6号が長野に向けて出発、となります。

二本木を出ると次は関山、ここは1997年2月にシュプール号を撮影しに来たっけ。
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この路線もそれ以来だから17年ぶりなんだな。

次は妙高高原駅、ここも懐かしい、学生の時、赤倉スキー場近くのペンションでアルバイトしてたのです。その後も何度か客としても行ったし、シュプール号撮影にも降り立った。夜行列車で夜も明けきらない早朝に到着すると、駅前の食堂が開いていて、熱いうどんを食べた記憶があるのですが、カーテンの閉められた建物がそうだろうか。笹寿司なんかもよく食べたっけ、その頃は食欲旺盛だったので、余りの量の少なさになんだこんなものと思ってましたが、これも廃業してしまったんだそうだ。それにしてもスキー・スノーボードをしてきたと思われる客は一人も見ない、みんな上越自動車道に取られてしまったのか。昔のあの賑わいはどこへ行ってしまったのだ。なんだか悲しくなって来てしまった。第3セクター移管後はここでしなの鉄道とえちごトキめき鉄道に分割され、どうも直通列車は走らないらしい、備後落合駅みたいになってしまうのかもしれません。

黒姫までどんどん坂を登ってゆきます。ジョイント音やモーター音は高く積もった雪にかき消されてか、とても静かな走りです。日本酒でも買って乗れば良かったな。黒姫を出ると、目に見えて雪の量が減ってきます。長野駅手前の長野工場には南武線の205系が数編成、横浜線の205系は全車(?)インドネシア行きとなりましたが、こちらは解体されてしまうのか。南武線のはよく乗っただけに残念。
(追記:2015年4月20日に120両のインドネシア譲渡がJR東日本より発表されました。9月より2本繋げた12両編成で走り始めたそうです。)

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長野に到着。これでこの色の189系ともお別れだろう。

ホームで特製天ぷらそば(普通のより40円高い)を食べ、お酒でもチビチビ飲みながらと考えていた次に乗る甲府行きの普通列車は、ロングシートの211系3両編成。お酒は断念。小淵沢でセミクロスシート211系に乗り換えて高尾まで。長野から立川まで5時間半、意外と早いかもしれない、座れてしまえばそんなに苦でもない。やはり青春18きっぷは偉大だ。

(乗車は2015年1月)

この2週間後、夕方に立川から新宿まで移動するのに、たまたまホリデー快速富士山号に当たり、簡易リクライニングシートに久々に座ることが出来ました。さすがに製造されてから35~39年経っているだけありまして、ガタガタでボロボロの状態、こんな古い座席がよく残っていたなぁ~というのが一番の感想です。

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烏山線乗車記

2014-2015年末年始の青春18切符による乗りつぶし旅行、最後の1日分はこの切符が使える最終日にJR烏山線・JR日光線・東武宇都宮線で締めくくります。いつもの武蔵野線むさしの号、東北本線快速ラビットを乗り継いで宇都宮駅へ。

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宇都宮10:03発の烏山行きは、2014年3月から運行開始した蓄電池駆動電車ACCUM。現在、烏山線にはこのACCUMとロングシート化されたキハ40が走っています。両方乗ってみたいところなんですが、両方乗るとなると昼間の烏山線は1時間半間隔での運転ですので3時間烏山で時間を潰さないとなりません。どちらかを選ぶなら、消えゆくキハ40も捨てがたいですが、やっぱりこっちでしょう。一番前のドアの後ろ側に立って、それでは出発します。(運転席ガラスから1.5m程後ろ、いい年のおじさんが、ガツガツかぶりつきするのは見た目良くないと、遠慮してかぶりつきをしてるつもりです。)

まずは宝積寺までの電化区間をひとっ走り。岡本を出た所で107系4連とすれ違います。あれ?この区間では205系に替わって撤退したのではなかったっけ?時刻表を見てみると両毛線からの直通運用だ。そんな運用があったんだ。それにしても駅間距離が長く、思いっきりスピードを出せそうな区間なのにも関わらず、途中から惰行運転でタラタラ走る。今は架線からの電気で走っているはず、最新型電車がどうしたんだ一体!これしかスピードが出ないのか。もしかしたらこの電車が検査で走れない時のために、キハ40でも同じダイヤで走れるようにこうしているのかもしれません。

宝積寺手前では渡り線を次々に横断し(なかなかスカッとします)、一番東側の烏山線専用ホームに入ります。黒磯からの普通列車の接続を待って出発。「架線無し区間に入ります」と運転席にテープ音声が流れますが、今更言われなくても既にバッテリー駆動で走っているのでしょう。

さてこの車両の形式「EV-E301系」、国鉄からJRに変わり、形式の付け方も各社バラバラになってしまったのですが、もしも国鉄のままだったらどんな形式が付けられたことでしょう。電車だから単純にクモハで終わりだろうか、バッテリー搭載を表す記号が欲しい、バッテリーの「バ」を新たに付け加えるとして、クモバハ301なんてどうだろう。ハイブリット気動車はどうだろう。キバハか、グリーン車が出来たらキバロになっちゃうな。なんて馬鹿な事を考えながら過ごす。

仁井田の駅前では人が集まってお祭りのような準備をしている。なんだろう。大金駅ではキハ40の2連と交換、2両ともタラコ色だ。小塙駅は1面1線の無人駅ですが、出発時にJR東日本の発車メロディーが鳴り田んぼの中に響き渡り違和感があり過ぎ。ここからは登り坂のようでノロノロ運転、全く持って電車らしくない走り、蓄電池車の性能はこんなものなのか、やはりこれもキハ40の性能に合わせた運転なのでしょうか、トンネルを出ると一気に早くなる。滝駅でも発車メロディーが違和感ありすぎ、右手に撮影で有名な滝を見て(高さの関係で列車から滝自体は見えない)、終点烏山に到着です。

ドアが開き外に出るとちょうどパンタグラフが上がる所、運転席ではテープ音声で「急速充電します」とか言っているので、人の判断で切り替えをするのではなく、すべて自動でやっているみたいです。

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ここでは1時間半も待たなくてはならない。外に出ます。

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まずは駅舎と反対側に行ってみようと歩き出すと、大谷石で造られた現役の倉庫があります、大谷石の産地はこの辺だったはず。倉庫前には近代化遺産の表示、こういう保存の仕方はいいなぁ。

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駅裏手から見ます充電中のACCUM。1両分の剛体架線の間に柱が5本も立つのは、それだけ大きな電流が流れるのでしょう。

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充電するための変電設備も非常に大きなスペースを要するようです。

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パンタグラフの無い側から見ます。将来4両編成にするとしたら、充電のための剛体架線の区間を増設しなくてはなりません。変電設備も倍に増設しなくてはならないのでしょうか。(物理における電気はしっかり勉強してこなかったので解らない)

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駅横には太陽光発電パネルが並ぶ、ここから充電できればもっと凄かった。

駅に戻ります、今回初めて烏山駅を訪れましたが、私が小学生頃の1979年、ここに来れたかもしれないチャンスがありました。国鉄で最初?のミステリー列車が運転され、乗ってみたくて確か池袋まで並びに行ったのです。並ぶのが遅かったからか、抽選に外れたのか、理由は忘れてしまいましたが、結果乗れなかったミステリー列車の行き先がここ烏山でした。その頃から駅の様子はだいぶ変わったんだろうな。

お昼は宇都宮に戻ってから餃子の予定でしたが、烏山駅前に立ち食いそば屋さんがあったので、そこで食べてしまいます。帰りは満腹でほとんど宇都宮まで寝てしまった。

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宇都宮駅ではちょうど烏山線カラーと国鉄ツートンカラーのキハ40が止まっていて写真に収めることが出来ました。

(乗車は2015年1月)

次の記事:日光線乗車記

日光線乗車記

烏山線の次は日光線に初乗車します。ここは国鉄時代の古くは上野や新宿からの優等列車が走り、東武鉄道と日光への観光客を奪い合っていた活気に満ちた路線でした。しかしいつしか東武が圧倒的優位となる時代が長く続き、JR化されて20年後は、栗橋駅に新設された渡り線を使ってのJRと東武の直通運転が始まる事により、メインルートからは完全に外れ、歴史は古いながら(開業はなんと1890年)、忘れ去られたかのような存在になってしまった…時刻表からはそんなイメージを私は持っていたのですが、実際は全然違った。

宇都宮駅5番ホームは14:17発の日光行きを待つ乗客で一杯。陽の当たらないホームでみなさん20メートル車4ドア位置に整列してますので、雰囲気は首都圏の通勤路線と全く変わりません。しかしガイドブックを持った観光客も多くいます。25%ぐらいがそうではないでしょうか。JAPAN RAILPASS利用と思われる外国人グループもいます。そうかそうか、みんな東北新幹線から乗り継いで来たのか。青春18切符なんか使っていると新幹線の存在をつい忘れてしまう。

来た電車は205系の4連、日光線用の茶色帯のではなく、湘南色帯ので車内は至って普通の205系。日光線用はどう違うか見たかった。座席は全て埋まり、各ドア位置に3,4人立つぐらいの乗車率、これはかぶりつきにはちょうどいい混み具合、運転席後ろのガラスに張り付きます。乗車したのはクハ204-601、メルヘン顔と言われてる車両ですが、基本205系ですので、よく利用する南武線に乗ってるみたいです。

それでは出発します、しばらく3線区間で東北本線と並走、短いコンクリート橋を渡ってプィと右へカーブすると、ここからが単線の日光線、勾配もありグングン登って行きます。いい雰囲気だ、楽しいぞ、ひとつ残念なのがこの車両がクハな事、クモハだったら晴れた冬の谷間に響く最高のモーター音を聞けたはずなのに。

本日、日光線の次に乗車します東武宇都宮線をアンダークロスしますと鶴田駅。ここは支線の小さな駅ながら構内はとても広い。かつてはどんな貨物がここから発着してたのだろう。帰って調べたらなるほど、数々の気動車や客車を生み出した富士重工業の宇都宮工場はここに繋がっていたのか。さらに昔は東武大谷線なんて路線もここから分岐していたんだそうだ。

鶴田を出ると正面にごつい山、たぶんこれが男体山なんだろう。それにしても次の駅がなかなか現れない、ここ鶴田~鹿沼間は9.5kmもある。なぜ205系なんだ、ロングシート車を使用するのは方針としていいとして、せめて着席定員を増やすためにも3扉の211系にしたらいいのにと思います。日光と言えば杉並木というのがありましたが、それっぽい雰囲気の個所を走ります。防風林が植えられてるようにも見えますし、森だった所に線路を敷いて線路際を除いて伐採されたような場所にも見えます。

文挟駅で日光線カラーの205系上り列車と交換、同時に駅に進入しますので、すぐに出発。だんだん山の中に入って行きます。鹿が飛び出して来そうな雰囲気です。実際に飛び出してくることも多いんでしょう。東武鉄道をアンダークロスして今市駅。ここは昔は2面3線だったのが、駅舎があった片面ホームの乗り場を廃止して、1面2線となった駅。こんなに降りる客が多いのに、すべての乗客は跨線橋の階段を昇り降りしなくてはならない。駅舎があった片面ホームを残すようにすればよかったのに。いまいちな駅だ、階段を登る乗客の背中が語っている。

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最後の一区間、ごつい山々がずいぶん近くまで迫ってきた。25パーミルの勾配をどんどん駆け上がり、右の東武日光線をノロノロ走る6050系2両編成電車を追い越し、勾配区間から平地になったところで終点の日光駅に到着です。

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さっき追い越した東武の6050系が、JR日光駅の機回し線上のオーバークロスします。好きなんですこの電車。乗りたいなぁ。

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日光には東武で一回来た事があります。その時も電車に乗るのが目的で全く観光はしてないのですが、200m程離れたJR日光駅を見てから帰りました。今回はその逆、東武日光駅を見てから帰ります。やっぱり6050系乗りたい。この電車についても書きたい事が沢山あるのですが、今回の記事はJR日光線という事で自粛。東武は鬼怒川公園駅より先、野岩鉄道にも会津鉄道にもまだ未乗車ですのでその時の楽しみにとっておきましょう。

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JRの日光駅に戻ります。駅舎2階は1等車の乗客の待合室だった所だそうで、長い間閉鎖されていたのを1989年に開放したらしい。天井のシャンデリアは、説明文によると1等待合室当時のものらしいですが本当だろうか、1989年頃の物にも見えなくもない(床材に関しては間違いなく1989年以降の商品だ)。このシャンデリアの白熱電球も、LED照明の時代となった今、切れてしまったらもう替わりが入手出来無さそうで、点灯することはほとんど無さそうに思えます。

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隣の2番ホームは団体列車、修学旅行列車が来た時に使用するのでしょうか、誰もいない美しく清掃されたホームは、かつての原宿駅皇室専用ホームにも通じる神々しさも感じられます。

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宇都宮側の留置線だって広々とし、左奥への線へのポイントの開き具合なんか絶妙でいい雰囲気です。ここにオリジナルカラーの183,189系なんかが止まっていたら、さぞかし絵になるでしょう。

来たのと同じ電車で宇都宮へ戻ります。日光出発時の乗車率は30%程度ですが、その1/3は外国人観光客。せっかくのお客様、ここはもうちょっといい電車を走らせて貰いたいとも思います。

(乗車は2015年1月)

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東武宇都宮線乗車記

JR日光線の次は東武宇都宮線。JR宇都宮駅から東武宇都宮駅までは2キロ近く離れておりまして、この街のメイン通りをひたすら西へと歩きます。誰よりも急ぎ足で歩いているのに、交差点ではいつも赤信号に足止めされ、後からゆっくり来た人に毎回追いつかれてしまう。全くもって面白くない街だ。

やっと左手に東武宇都宮駅が入っている東武百貨店が見えてきました。そちらに進みますと、がらりと雰囲気が変わり、ゆっくり歩いてみたくなる街並みになります。小さな餃子屋さんを覗くとカウンターで一人で餃子を突く人がちらほら見られ、焼きトン屋さんの前では開店を待つ7,8人がたむろ。私もどこかの店に入りたくなってきた。でも出来るだけ明るいうちに東武宇都宮線に乗車したいので今回はパス。

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JRの駅ビルや途中で見たパルコに比べて少し元気がないようにも見える百貨店ビル隅にある階段を登り、建物を回り込むようにして辿り着く東武宇都宮駅の改札口。

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中に入りますと行き止まり式の1面2線ホーム。留置線も1線あります。

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やってきましたのは8000系の4連、これが私の乗車します16:46発の普通栃木行きとなります。

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ホームは4両編成で一杯。そういえばここには1日1往復、特急しもつけ号というのが走っていたはず。東武の特急はすべて6両編成だと思っていたのですが、4両編成だったのだ。

この路線はしもつけ号に乗るのが良かったかもしれません。しかし、しもつけ号の面白いところは、この宇都宮線内ではなく、4両編成のまま、東急や東京メトロの10両編成がガンガン行き交う伊勢崎線を走ってしまうところかもしれません。しかも車両は350系という生きた化石みたいな昭和の電車だ。

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魅惑のしもつけ号は右の留置線で夜間停泊するのでしょうか。だとしたらその光景はとても絵になるはず。ちなみにこのホームは産地だけあって大谷石が使われています。

それでは出発します。車内はどの7人掛けロングシートに2~3人座る程度、2両目のモハに乗車することにしまして、8000系のモーター音に耳を傾けるとこにします。それほどスピードは出しませんので、とても優しい音を奏でます。

次の南宇都宮駅は構内踏切があります。構内踏切があるなんて東武鉄道も東京を離れて支線に来ると駅のイメージもだいぶ違います。江曽島駅では下り列車と交換、私が乗車しているのと同じ8000系4両編成の5ケタナンバー車。

西川田はとても広い島式ホームの中に改札のある独特な作りの駅。ここも貨物ヤードがあったと思われます駅です。どんな荷物をここで扱っていたのだろう。調べてみましたら東武大谷線はここから分岐していたようです。しかし大谷線廃止は半世紀も昔(1964年)の事で、私の見た貨物ヤード跡は、それほどの昔のものには感じられません。「西川田 貨物」での検索では大谷線しか出てこなかったのですが、「西川田 専用線」でやってみると、専用線の大御所とも言えます方のブログに、そのヒントを見つける事が出来ました。凄いなぁ、勉強になります。

田畑の中を真っ直ぐに走って安塚駅、そしてその次が“おもちゃのまち”駅。今では面白い名前の駅なんて珍しくもありませんが、ここは私が子供の頃からこの名前で、時刻表の地図上で怪しい存在感を放っていた駅。

やっと訪れる事が出来たのですが、1面2線の構造でホームはとても広い。周りはひたすら住宅地、昭和の時代は沢山のおもちゃの工場があったのでしょうが、今や製造工場は海外に移転、その面影は全く感じられません。駅名、町名だけが当時を偲べるものになってしまったんだなぁと、夕暮れ時のセンチメンタルな光の中で思っていたのですが、失礼いたしました、おもちゃのまちの玩具工場団地は車窓から見えない場所にしっかり健在です。

壬生駅を過ぎたあたりで日が暮れ、景色もあまり見えなくなってきてしまいます。乗客は宇都宮出発時の20%ぐらいに減ってしまっています。輸送密度が高いのは終点側の宇都宮側のようで、東武鉄道の支線というよりも、宇都宮を起点とするローカル私鉄みたいな感じです。

右から東武日光線が近づいてきて新栃木駅に到着、隣のホームには5分後に出発します南栗橋行きが接続待ちをしているのですが、この電車は日光線をもう一駅、両毛線との接続駅の栃木まで行くので私にとってはありがたい。乗客はさらに少なくなり、1両に3,4人。出発しますと複線だからか速い、宇都宮線とは全く違う走りです。

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栃木に到着、ここでは宇都宮線用の8000系が並びます。リニューアルされてますが30年前に製造された車両、この光景は、あとどのぐらい続くのでしょうか。今日は昔の電車ならではの、惰行に入る前のポコンという音を何度か聞けたのが良かった。

さて、どこかで少し飲みながら何か食べて帰ろうか。宇都宮で食べられなかった餃子がいいな。外に出てみようにも駅前広場が広く、適当な飲食店を探すのも苦労しそう。とにかく寒く外をあまり歩きたくないので、10分後の両毛線小山行きに乗ってしまいます。小山も確か駅前広場が広い駅だったので降りる事無く、10分後の快速ラビットに乗車。この快速ラビット、上野駅では14番線に入るのですが、到着と同時に13番線を出発する北斗星号が見られました。青いEF510を初めてこんな近くで見たのですが、ピカピカの車体で痺れるぐらいにカッコ良かった。一度ぐらい東大宮蓮田間にでも撮影に行っておくべきだったなぁ。

(乗車は2015年1月)

この東武宇都宮線を乗り終えて、私の未乗車区間は5000kmの壁を突破し、4000km台になりました。右上プロフィールの数値も修正したいところですが、2ヶ月後に控える北陸新幹線の開業で、またすぐ5000km台に戻ってしまうので、そのままにしておきます。

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東金線乗車記

昨年9月に続いて、飛行機には乗らないのですが成田空港に用があり、行きがけにちょいと寄り道をして東金線の乗り潰しをして来ました。

まずは京葉線の各駅停車に東京から50分揺られて蘇我へ。到着しますと京葉臨海鉄道の水色のDD13タイプのディーゼル機関車が止まっています。写真撮って行きたいのですが今日は時間がありません。急いで外房線下りホームへ。

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乗車するのは千葉始発で蘇我を12:04発の東金線直通の成東行き。車両は209系の6連。車内は座席が全部埋まり、ドア付近に2~3名の立ち客、かぶりつきをするには最適の乗車率です。

それでは出発します。
蘇我の次の鎌取は駅周辺がだいぶ開発されて乗降客も多い。確か昔は快速が通過していた駅ではなかったっけ。その快速が停車していた次の誉田駅の方が乗降客が少なく、立場が逆転してしまったように見られます。同じく昔は快速が通過していました土気を過ぎると、規模は小さいですが峠越え区間、林の中をカーブを切って走り、しっかりトンネルもあり、貯水池も見える。さぁ、そろそろかな。

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場内信号が現れました、左の「4場」が黄色なのに注目。そして大網駅が見えてきます。

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直進しますと安房鴨川方面、かつ外房線の大網駅ホームなのですが、電車はこのポイントを左へと進みます。

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分岐した側に入りますと約120mの単線区間で東金線の大網駅ホームにたどり着きます。東金線では、千葉・東京発着の直通列車のみが走る、この区間にもしっかり乗ってみたかったのです。確か昔はここを走る列車は朝の上り列車、夕方以降の下り列車数本しかなかったような気がしますが、今は東金線列車の約半数が千葉発着となっていますので、簡単に乗ることが出来ます。

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大網駅に到着、しばらく停車するみたいですのでホームに降りてみます。屋根が無くて開放的、今日は1月というのに風もなく暖かく外出には最適の日。

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行き止まりの3番線、左奥に見えるのが外房線のホームになります。

大網駅を出発します。左にカーブを切りますと、すぐに右手から安房鴨川方面からの線路跡(写真は撮れず)と合流。1996年まで貨物列車が走っていたんだそうだ。

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そして左手に絶妙な空間、保線車両の基地が広がります。東金線の見どころはここでしょう。ここは1972年まで大網駅が存在した場所で、当時の外房線(その時点での線名は房総東線)はここでスイッチバック。さらに歴史を遡りますと東金線の方が本線だったのです。ちょうど1968年の千葉駅移転で、外房線・内房線のスイッチバック解消したのと同じパターンになります。40年以上の歳月が流れているにもかかわらず、ここまで当時の面影を辿れるのはなかなか凄い。旧大網駅だった保線車両基地の東金方の線路の末端が第3種車止めで終わっているのもいい。

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ひたすら直線区間で現れたのは片面ホームの福俵駅。ホームに喫煙所があるのを見て、けっこう遠くまで来たんだなぁと思います。今日はいい天気ですので、次の電車が10分後ぐらいに来るのであれば、ちょっとここで一服して行きたい。

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この路線のメインの駅であります東金に着きます。右の空いたスペースは九十九里鉄道の駅跡?廃止されて半世紀も経っていますのでそんな事はないだろう。

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島式ホームの求名駅は屋根のない歩道橋がいい感じ。ここも構内が広く昔は貨物の取り扱いを行っていたみたい。Wikipediaによると1962年までやっていたそうだ。なんと半世紀前、よくそのまんま残っているなぁ。

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最後の1区間をひとっ走り。この路線は両端部を除いて、ずっと気持ちのいい直線です。右側は数キロ先に海。海面は見えませんが、海がある事はなんとなく雰囲気で分かります。

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そろそろ終点の成東です。カーブが始まりました。信号機から0番線に入るようです。

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右から総武本線が近づいてきまして合流。

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行き止まりの0番線に進入します。この電車の折り返しの千葉行きを待つ乗客もたくさんいます。これに乗ると12:47に成東を出発し13:33に千葉に着きます。右奥に見えます209系も総武本線経由の千葉行きで、12:44に成東発、13:29に千葉着。成東以東の人は千葉以遠に行くのに2つのルートが選択できるのです。普通乗車券の場合は途中下車しなければどちらにも乗れますのでいいですが、定期券の場合はどっちのルートで購入すべきか迷いそう。

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隣のホームに入ってきたのはE257系のしおさい5号の銚子行きなんですが、ここ成東からは普通列車として運転。ここでもまた成東以東の人が羨ましい。

次はガラガラの総武本線経由千葉行きの209系クロスシートで佐倉まで。209系も千葉のローカル地区と言ったらこの電車というくらいすっかり馴染んできました。113系や211系よりも、かぶりつきに適してますし、僅かですがクロスシートもあっていいではありませんか。私もだんだん好きになってきました。

(乗車は2015年1月)

12月終盤から頑張ってほぼ毎日更新で、今まで乗車した分をやっと書き終えました。これでネタ切れでして、次回の新規乗車はたぶん8月か9月、それまでの間は1か月に1回程度、懐かし写真ネタの更新といたします。
プロフィール

QJ7000

Author:QJ7000
おじさん鉄道ファンの日本の鉄道の乗車記録です。2012年、ふと日本の鉄道全線に乗ってみたいと思うようになり、乗りつぶしをスタート。その時の未乗区間は7,818.4kmでしたが、12年目にしてあと1,002.5kmになりました。すべて乗りつぶすには、今の生活パターンだと、まだ7,8年ぐらいはかかりそうですが、路線や車両に愛情を込めながら、少しずつ記録に残しておこうと思います。古い記事をご覧になりたい方は下のカテゴリーの「年別目次」からどうぞ。

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