鹿島臨海鉄道 初乗車記


乗るのは2両編成で、左は鹿島神宮側のデビュー当時からの塗装、右の水戸側は簡素化された塗装。右はなんだか昔の丸ノ内線電車みたいです。

次の東水戸駅で交換するのは丸ノ内線もどき。1985年に開通した路線なので、この辺は高架区間ばかり、遠くに海も少し見えたような気がします。新規の路線なのですが、やはり30年近く経っているからでしょうか、コンクリート構造物の汚れも目立ってきており、それなりに草臥れてきているようです。列車も結構揺れました。
大洗で右に車庫を見て、この辺で空いてきたので先頭でかぶりつき。ここからとても面白い区間がありました。写真データの撮影時間から大洗・涸沼間だと思われます。






御覧の通り一直線の切通し区間で時々短いトンネルがあるのですが、もう周りの木々が成長しすぎて、まるでジャングルを走っているようです。そして鉄道をまたぐコンクリート製の道路橋みたいのも多数あるのですが、ここもまた木々が生い茂り、なんだかすっかり自然に還ってしまっているみたいなのです。はたして車や人の通行は可能なのでしょうか?
ここからは全くの私の想像なのですが、この鉄道は開通が1985年ですのでバブルのちょい前。建設当時は予算もたくさんあったので、切通し区間には鉄道を跨ぐ道路橋もたくさん作った。地元の土建業者さんも潤い、夜の繁華街も賑やかになった。当時はこれが健全な経済活動だったと思います。
ところが実際にはそれほどの需要は無く、人も車もほとんど通らず、地方の人口減少に高齢化、今となっては道路橋の管理維持する費用もなく、ほったらかしにしておいたら、こんな風になってしまったのでしょうか。本当に車内から見ただけの勝手な推測なのですが、この鹿島臨海鉄道を跨ぐ道路橋、実際どうなっているのか非常に気になります。涸沼は何て読むのか調べたら「ひぬま」、ここの駅舎は私は見逃してしまいましたが、Wikiで見るとバブル時代の名残なのか、ずいぶんお金がかかっているように見えます。
ここを進むと乗客は少しずつ増え、一番前でのかぶりつきも降りる人の邪魔になりそうですので座席に戻ります。
何処か忘れましたが無人駅では、なぜか全員キャリーケースを持った20人ぐらいの年輩の方たちの団体が乗車。どこかで合宿でもしてきたような感じです。
最後の停車駅、荒野台を出てからまたまた先頭部に行ってかぶりつき。私もそうですが、おそらくこの列車のほとんどが切符を持っていないと思われ、ここに立っていれば、清算の混雑を避け、一番最初に運転手に乗車賃を払って下車できそうです。鹿島サッカースタジアム駅ではJRの電気機関車でも見れるかなと期待していたのですが、停車する貨物の姿も無し。ここからJRの鹿島線となって、終点鹿島神宮に到着です。
写真は乗ってきた列車を駅外からと、水戸に向けて折り返す列車です。


(乗車日:2012年8月)
関連タグ:旧建設線の第三セクター路線
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