南海高野線・特急こうや乗車記


乗車します13:00発の特急こうや5号は、出発10分前に入線します。今日の車両は非貫通の方の30000系で来ました。特急こうや号といえば、子供の頃に特急図鑑で見たデラックスズームカーこと20000系が強烈な印象で残っているのですが、大窓でデラックス、そして前パンという伝統をしっかり引き継ぎ、なかなか格好いいではありませんか。この車両、私が実車を見る事が出来なかった20000系と入れ替わりでデビューしましたので結構古いはず。調べてみれば1983年製、もう35年目なのか。私も年を取ったなぁ。

ずらり電車が並ぶ、関西の私鉄ターミナルならではの光景も1枚。ちなみに奥に見えるラピートだって、もう登場して23年にもなります。

それでは出発、ドーム屋根の外に出ますと日差しが強く、ちょっとカーテンを閉めます。指定券は1時間ほど前に難波駅で、進行方向右側で出来るだけ前の席とリクエストして購入したのですが、先頭車の4列目という満足な席で、背筋を伸ばせば前方も見ることが出来ます。
新今宮で外国人観光客が10名程乗車、天下茶屋ではどうだったか忘れて、岸里玉手で本線と分かれ、さぁここからは初めて見る景色です。地上に降りると、車窓は昔からの住宅地で、京王井の頭線のような雰囲気の中を走ります。駅の間隔が短く通過線を持つ駅がすぐに現われるのは関西の私鉄らしい。

大和川を渡ります。阪堺電気軌道の鉄橋が近くにあるはずですが、道路の橋が邪魔をして見えません。川を渡れば古い住宅街から新しい住宅街になるからか、京王井の頭線から小田急江ノ島線のような風景になります。
中百舌鳥駅を通過。子会社である泉北高速鉄道の分岐駅ですが、高野線は急行も止まらない駅だと知ったのは、この日の旅行の復路。そして、この路線のすれ違う電車で注目なのは、1960年代に製造された片開き4枚扉の6000系。最古参なのに今もバリバリ急行運用に主に入っているというのは痛快です。それと8両編成なのですが、4両+2両+2両という運転台だらけの編成も多く、引退したら地方の私鉄でそのまま使ってもらえそう。帰りに当たればいいなぁ。だんだん沿線に農地が見えて来て、左前方に山が迫って来ます。金剛に停車。

金剛駅の隣の上りホームの出発案内板に「特急こうや」と出ていたので、前方にカメラを構えて撮れた写真。今度のこうやは貫通タイプの31000系のようです。
河内長野の手前で、左右に車両基地が展開し、右には本線系統の特急ラピートやサザンの姿も見えます。左は順光の太陽光線を浴びてステンレス車体を輝かせている6000系の姿があって、とても格好いい。河内長野に停車。隣の近鉄長野線のホームは、電車は停まっていませんが大勢の客が立って電車を待っています。帰りはこの路線にも乗る予定です。
ここからは多摩丘陵を抜ける京王線みたいになりまして、しばらくして新しそうな複線のトンネルで山を抜けます。大阪の地理には弱いのですが、この辺の山地は何と言うのだっけ?(帰って調べてみて…そうか、和泉山脈だったか。これを阪和線が越える所が山中渓で、こんな風に繋がっていたんだ。)
次の停車駅は林間田園都市、山が深くなり、林間はわかりますが、田園はあるのか?というぐらいの雰囲気になって来ます。単線のトンネルが2本並ぶところもあって、昔からあるのはたぶん上り線の方でしょう。後から知るのですが、このトンネルが大阪と和歌山の境になります。
停車する林間田園都市周辺に、田園はやはり見当たりませんでした。その後坂を下り、左側に谷がきれいに見え、ここにちょっと田園が見えます。途中にはまた車両基地があり、非貫通の特急こうや30000系が休んでいました。右から単線の和歌山線が近づいてきて、13:43に橋本に到着です。

がらんとした橋本駅。105系の姿はありません。2分の停車で出発、ここからが面白いはずなのだ。

まずは右へ右へとカーブし、JR和歌山線の下を潜り、紀ノ川を渡ります。数日前の台風の影響でか、水の量が凄い。
まだまだ右へ右へとカーブし、橋本駅から180度向きを変えて、紀ノ川を下流側へと進み、直線になるとスピードを上げて来ます。次の紀伊清水で交換するのは2000系ズームカーの4両編成。ここは17m車しか走れない区間になります。

2016年1月にJR和歌山線に乗りに来た時、紀ノ川沿いは柑橘類がいっぱい植わっているなぁ・・・という印象でしたが、今の季節は柿でしょう。ちょっと興味をもって調べてみれば、柿の生産量は和歌山県が断トツの1位のようです。場所柄、実より葉っぱの方が需要がありそうですが、どうなんでしょう。
紀ノ川から離れ、学文路、九度山といい雰囲気の駅が続きます。この辺は東京の路線に例えると、JR青梅線の青梅~御岳間みたいな感じ。九度山の保線車両の基地も、似たようなのを青梅線のどこかで見たような気がするのですが、どこだっただろう。
景色はどんどん変わります。ここからは右に今は水量が多くてちょっと怖い渓谷が見えます。龍王渓と書かれています。高野下ではクロスシート2両編成の2300系と交換。側線では昼間というのにモーターカーが動いています。
高野下を出ますと、急カーブで車輪をキイキイ軋ませて、坂を登って行きます。昨年秋の台風被害で、約半年間も運休していた区間でして、大型車両(17m車なので中型か)が走る路線とは思えないぐらいの険しい山岳路線となります。

下古沢をゆっくり通過します。カーブしたホームに駅員さんが赤い旗をくるめて持って立っています。最近このような光景はあまり見られません。なんだか海外の鉄道に乗ってるみたいです。駅を出てからの右手は、密度の濃い竹林、絶壁から見下ろす谷(落ちたら大変だ!)、数日前の台風の仕業なのか根こそぎ倒れた大木。乗り潰しの時は、たいていはメモしながら乗車しているのですが、そんな余裕ないぐらい目が離せない車窓です。

昔は交換可能駅でしたが、谷側の線路を剥がしてしまった上古沢駅。後になって知るのですが、ここが昨年の台風で被害を受けたところでして、道床が流出してしまったとのこと。山の斜面にある駅で、人家は谷のはるか下。こんな高いところに駅があったのでは、登ってくるのは大変。利用する人なんていないだろうなと思いつつ通過する駅を眺めていたら、待合室に登山者が休んでいました。
車内放送で観光案内が始まります。どんな内容だったか忘れてしまいましたが、こんなところに、昭和5年という時期によく線路を敷きました。今までは「○○線みたい・・・」と東京の路線に例えて、適当にほざいていましたが、ここからはそんな発言は失礼にあたるような気がします。あえて例えるとしたら、森林鉄道の世界に近いのではないでしょうか。もう一つ感じたことは、宗教の力というのは凄い。

またしてもホームに駅員さんの立つ紀伊細川を通過。隣の線には保線用のモーターカー動いていました。その後線路際には、台風の影響でしょうか、斜面が崩壊しないように土留めをした箇所、ブルーシートを敷いた箇所、そして保線の作業にあたる職員の姿が見え、鉄路を守るのは大変なんだなぁと実感です。

紀伊神谷駅を通過。ここは凄い秘境駅なんではなかったっけ。4両編成の各駅停車と交換。


極楽橋駅が見えてきました。留置線に電車の姿は無し。ケーブルカーに乗り換えをするためだけの駅で、周りには何もないとのことですが、3面4線という規模は、さすがは高野山です。

14:17に到着。

ゆっくり駅や電車を観察したいところですが、6分後に出発するケーブルカーに乗るため、先を急ぎます。
(乗車は2018年10月)
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