松浦鉄道乗車記3(有田~伊万里)と国鉄最後の日の思い出

15:48発の伊万里行きは自動車学校のヘッドマークをつけています。乗客は10名ぐらいか。進行方向右側座席は、伊万里→佐世保では4人掛けボックスシートでしたが、有田→伊万里では伊万里駅の関係で1人掛け転換シートになります。気を使わずに座れるので助かります。
有田~伊万里間は、松浦鉄道の中ではあまり車窓が面白くない区間かもしれません。美しい海は見れませんし、石炭輸送の重い歴史も感じなければ、佐世保みたいなエキゾチックな街も走らない、いい意味で正しく枯れきった感じの日本のローカル線です。午後ですので車窓をしっかり見てやろうという集中力も切れ、ボーッとしてるうちに伊万里に着いてしまいました。おっ!と思って撮った写真は下の2駅。

古い駅舎の蔵宿駅(ぞうしゅくと読む)。Wikipediaによると1913年に建てられたんだそう。こちらも後で知るのですが、石炭ではなく陶磁器の運搬のために建設されたという有田~伊万里間は、松浦鉄道では最も歴史が古く、なんと1898年の開業。ちなみに佐世保軽便鉄道はその22年後の開業であります。


ホームが自然に帰りつつある夫婦石という駅。ここで交換。写真を撮った2駅は、1898年の開業からある駅みたいです。

16:13、伊万里に到着です。

改札を出て道路を渡って16:23発の筑肥線に乗り換えです。7時間前に乗車した区間ですので少し寝ます。
(上記の乗車は2017年8月)
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これで記事が終わってしまうのも寂しいので、国鉄最後の日の鉄道旅行の思い出話を…
長崎県と佐賀県は、私にとって46都道府県で最も縁がなかった県でして、鹿児島本線と九州新幹線で何度か鳥栖付近を通過したのを除けば、一度しか来たことがありません。それは忘れもしない1987年の国鉄最後の日に発売された全線フリー切符を利用した最悪の旅行でして、その行程は…
まずは前日夜発の大垣夜行の臨時続行便(167系、座れない)で名古屋へ、次に名古屋始発のひかり(座れない)で博多へ、博多からは長崎行き特急かもめでこれまた座れない。そして肥前山口で隣のホームにガラガラの715系普通佐世保行きが停まっていたのを見て乗り換え。これが佐賀県で外の空気を吸った唯一の経験になります。とにかくやっと座れる。しばらく元寝台特急581系の広いボックスシートに身を委ねて早岐へ。次もガラガラ大村線普通列車で長与経由で長崎へ。とても穏やかな大村湾の景色が印象に残ってます。長崎到着後は直ぐに特急かもめ自由席の列に並んで、なんとか座席を確保して博多へ。次に予定していたひかりは超満員、先行するこだまで小倉だったか広島まで行って、満員のひかりに乗り換えます。ひかりでは長い時間食堂車でヒレカツ定食を注文して粘った記憶もあります。新大阪で降り、最後は485系急行きたぐに臨時続行便。なんとか座れたました。きたぐに乗車中に国鉄はその歴史を閉じます。JR幕開けの翌日は、青春18きっぷに切り替え、新潟からいろいろ回る予定でしたが、もうクタクタ。長岡で下車し、上越線でまっすぐ東京に帰りました。若かったからやり(乗り)遂げられた感じの旅行でしたが、もうこの手の全線乗り放題キップは懲り懲りです。
今回の旅行で長崎県と佐賀県の鉄道は乗り潰してしまう予定ですので、また当分来ることは無いのかもしれません。
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