上信電鉄乗車記
時間がないので急いで乗り換えです。それにしても高崎駅の1番線は無くなってしまったんだ。今では上信電鉄への通路の役目でしかない。もう10年になるらしい。知らなかったです。私の母親の生家が長野にあった関係で、少年期は夏休みの度に、急行信州や妙高、たまに特急あさまに乗って行ったのですが、行きの高崎駅はいつもこの1番線ホームに入線しました。印象に残っているのは、大きな駅舎にだるま弁当の販売、立ち食い蕎麦屋さんでは車内持込用のプラスチックの容器に入れての販売もしていたような気がします。しかし残念ながら私たちは駅弁は横川で買うものと決まっていたので、ここで買って食べた記憶はありません。

待っていた16:43発下仁田行きはこんな電車、先頭は両運転台のデハ251、後ろに別形式のクハ303をぶら下げた編成。地方の中小私鉄らしくて面白い、今時こんな編成はなかなか見られないのではないか。この手の編成で一番インパクトがあったのは、上田交通の丸窓電車と元東急青ガエル中間車改造クハの組み合わせでしょうか。
車内は通学帰りの高校生で一杯。座って大人しく過ごします。私鉄路線の起点の次の駅というのは、とても小さな設備である事が多いですが、この路線の南高崎駅もそう。次に新幹線高架下で止まったと思ったら信号所、ここで元西武401系電車と交換。出発すると西に急カーブでまた新幹線の高架をくぐる。新幹線が出来たおかげで、線路を敷く方向を間違えて修正したかのような感じにまってしまった。鉄橋を渡ります、撮影で有名な場所はたぶんここだろう。高崎からこんなに近かったんだ。
次の交換駅の山名では島式ホームだからか右側の線路に入る、さっきの信号所では左側を通ったはず。運転席が右側だからか右側に入るのか、違う、運転席が右側なら左側の線路に入ったほうが良いはず、よく解からない。そしてこの鉄道には運転台が右側にあるのと左側にあるのが混在するみたいで、ますます訳解らない。考えるの止めよう。
それにしても車両の種類が多く、交換する度に来る車両は違う。馬庭でダンパーが凛々しく日野自動車が作ったかのような6000系、上州福島で新車7000系、上州富岡で元西武801系のシマウマ電車。上州一ノ宮駅で元西武新101系の蒟蒻畑電車。中でもこの7000系、地方鉄道がオリジナルの新車を導入するのは久しぶりの事。世界遺産登録を見込んでの地方自治体からのプレゼントなんだそうだ。テレビでは富岡だ富士山だと騒ぎすぎではないかと、少し冷ややかな目で見ていましたが、こうして新車現物を目にすると地域も活性化するんだと実感。後は一時のブームで終わらないようにあって欲しい。
上州富岡から2つ3つ進んだところでだいぶ空いてきました。そろそろいいだろうか。運転席後ろに立って前方を眺めることにします。

前方に面白い形の山、そして上信電鉄の架線柱も古レールを利用したもの、2本組み合わせていますが、間に斜めに鉄材が入って神戸電鉄の松葉型よりはるかに頑丈そう。この電車は運転席が右側にあるので、左側からの撮影になります。
前方を見ていて気になるのが、カーブに差し掛かると線路にカントがあって車体はカーブ内側に傾きます。そして直線になると元通り真っ直ぐに復元するのですが、この復元するのがとても遅いというか、しばらく直線を傾いたまま走るような感じがするのですが気のせいか。

この路線は最後の1区間、千平からが面白かった。谷が狭くなり景色は一転、山の中に突っ込んで行きます。連続カーブをゆっくり右に左と車体を傾け、勾配をどんどん上るのは山岳鉄道の雰囲気。

信号所だ、ここだけ勾配が無く直線だからかスピードが速くなる。いいぞいいぞ楽しいぞ、碓氷峠の熊ノ平信号場通過を思い出します。

カーブを曲がった先はどんな風景が展開されるのだろうと、ずっと見入ってしまう線路、短いトンネルを抜けると下仁田の集落が見えてきます。

そして終点下仁田に到着、駅の向こうに見える風景は中国の山水画みたいだ。高崎を出てから1時間1分ですが、遠くへ着たなぁという感じがしてきます。


駅を出て気になったのは、ワンボックスカーを改造した小さな乗り合いバス、車にはふれあいバスと書かれているも、その下の事業者名は雨沢ハイヤー、そして行き先の勧能、「かんのう」と読むのではないかと思うのですが、なんとなく神々しい漢字の並びと響きに、どんなところなのか興味を持って調べると、下仁田から西へ15㎞、長野県境に近い谷間の集落で、石垣・棚畑・崖屋・古民家あたりに痺れてしまう通な旅行者にとっては桃源郷なような所だそうだ。まだまだ私の知らない日本はたくさんある。

しかし、ここでは6分の滞在ですぐに戻ります。

左端の錆びだらけの貨車は鉄製有蓋車のテムだ。上州福島にもいた。

行きも帰りも乗車します、両運転台デハ+クハの異形式連結編成、下仁田側のデハ251。

高崎側のクハ303。この写真を見て非冷房車だったんだ(窓を開けられた!)と思ったのですが、床置きタイプのものが設置されているらしい。

異形式の連結なので車体断面や窓配置は全く合わない。

側線に停車中のクモハ155+156、昔の典型的な西武顔の電車。地方に行けば見られるイメージでしたが、流鉄・伊豆箱根鉄道では同じ西武の新しい中古に置き換えられ、急速に数を減らしている。


帰りはクハに乗車、車内の製造プレートは「西武・所沢車両工場・昭和44年」、車内の写真と、妻面から見える両運転台デハの顔。


帰りはどこかで降りてみたくなりました。無人駅がいいなと降り立ったのは上州新谷駅。

新車7000系の下り電車が到着、たいした写真は撮れない。


上州新屋から高崎まで乗車したのは、下仁田側がデハ252、高崎側がクハ1301の編成。これも似ていますが異形式の連結、上信電鉄は面白いなぁ、ここは一日かけて楽しむべきだった。


哀愁の高崎駅旧1番線通路、たかべんの立ち食いそば屋さんは駅構外になってしまいましがが健在、後で知るのですがラーメンの方で有名らしい、天ぷらは全部売り切れで肉そばを食べて、Maxたにがわ、むさしの号を乗り継いで帰ります。
(乗車は2014年9月)
前の記事:一部区間がダム湖に沈む吾妻線乗車記