熊本市電乗車記2(通町筋駅~健軍町)

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熊本電鉄の藤崎宮前駅から熊本市電の通町筋まで歩きます。距離は500mぐらい。駅出たところに解りやすい地図が有り、確認しますとアーケードがあって距離の半分は傘なしで行く事が出来そうですのでそこを目指します。

それにしてもお腹が空きました。この時の時間は午後3時前でして、朝7時に牛丼タマゴセットから何も食べていなかったのです。せっかくですので熊本ラーメンが食べたい。運よく見つかるでしょうか。

するとアーケードの右手にチィちゃんが(←東京の人は知らないだろうなぁ)、おおーっ!世界の味千ラーメンさんではないですか。そういえば熊本が発祥だったんですよね。ここでは味には煩そうな熊本の人たちに合わせて、きっと旨いラーメンが出てくるだろうと思うのですが、つい先日、とある空港内のお店で食べたばっかりですのでパス。

そのちょっと先に、これまた有名な熊本ラーメンのお店がありまして、ラーメンと餃子の遅めの昼食。空腹でしたので美味しく頂きました。

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アーケードが終わったところが市電の走るメイン通りでして、3時間前に来たばかりの通町筋駅に戻って来ました。台風が低気圧になったとはいえ、とても激しい大粒の雨。ビルの入り口で雨宿りして市電が来たら走って駅へ、健軍町行きに乗車します。

市電は激しい雨にも負けることなく、健気に走っておりじゃんじゃんすれ違うのですが、帰りの飛行機は大丈夫かが心配になって来ました。今日みたいな日は乗り潰しなんて止めにして今すぐ空港に行って、前の便の空席でもあれば替えてもらって早く東京に戻った方かいいのではないか。初乗り区間ですのでしっかり車窓をみたいですが、携帯電話のiモードでJALのサイトの運行状況をチェックしてみます。

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引き返し、他空港への着陸の可能性のある空港は三沢・但馬・隠岐・宮崎・奄美大島・種子島・屋久島・南紀白浜・岡山・高松・鹿児島との事で日本全国に渡っているのですが熊本は大丈夫そう。よし!折角九州まで来たのですから、乗り潰しをみっちりやる事にしまして、勇ましい名前の健軍町まで乗車する事にします。

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健軍町駅の降車ホームに停まる乗車した1091。

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降車ホームの数10メートル先の単線になった部分にある乗車ホーム。私の乗ったのより先に到着していたB系統上熊本駅前行きの8502。

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健軍町駅の線路の途切れる所。駅名からして砂埃舞うような荒れっぽい街をイメージしてましたが、世田谷区にでもあるような普通の町です。

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乗って来たのと同じ電車で戻ります。降りたのはJR豊肥本線との乗り換え駅の新水前寺駅前。

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傘をささずに乗り換えは可能でして、こんな便利な駅が出来たのはJR化後の1988年。利用者にとっては国鉄なんて解体されて万々歳ってところでしょう。

(乗車は2013年6月)

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南阿蘇鉄道乗車記

今回の旅行の最後を締めくくるのは南阿蘇鉄道。阿蘇と言えば神話の国、昨年秋にも同じく神話の国の出雲地方も回りましたが、鉄道に乗っているだけでは、駅や列車のラッピング等いろいろイメージ作りに頑張っているんだなぁ~ぐらいしか感じませんでした。しかし今回は上陸した台風が弱まって低気圧に変わった後という独特な風景の中、ちょっとしたハプニングみたいなのも度々起こり、正に神話の国に行ってきたなという感じでした。

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新水前寺から立野までは大牟田・熊本間でも乗車した815系というロングシートの電車と200系という赤いディーゼルカーを肥後大津で乗り継いで向います。どちらの列車も学校帰りの小中高校生で一杯だったので一番前でかぶりつきをして過ごします。立野までは1990年代後半にSLを撮影しに来た事があるのですが、どこで撮影したのか記憶を辿れないまま木々が深くなりスイッチバックの立野駅に到着します。

列車を降りてそのままホーム進行方向を歩いて行くと南阿蘇鉄道乗り場なのですが、あれっ?無い!ピッとやる改札機が無いではないですか。新水前寺ではsuicaで乗ってしまったのです。右手に財布を掲げてウロウロしていると、駅員さんらしき人が通りかかったので聞いてみますが忙しいみたいで、ICカードが使えるのは肥後大津までだよと答えただけで行ってしまいます。

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困りましたが発車時間も迫ってますので、清算しないまま17:14発の南阿蘇鉄道高森行き乗車します。この列車も学校帰りの中高校生で一杯なのですが、ロングシートの一番前が空いていましたのでそこに座ります。昨年秋にさんざん乗ったキハ120と同じタイプみたいですが、前面は貫通路が無く1枚窓ですので見晴らしはとても良いです。さっきの駅員さんらしき人は南阿蘇鉄道の運転手さんでした。

さて出発、軽快に加速して行きます。それにしてもなんて山深い中を走るのか、一般的に山間部を行くローカル盲腸線は、起点が開けていて先へ進むにつれて山深くなっていくパターンが多いですが、いきなり森の中に結構なスピードで突っ込んで行くではないですか。

そして有名な第一白川橋梁にさしかかります。「この鉄橋は**年に製造されて水面からの高さは**m・・・」そんな案内がテープ音声で流れるのですが列車は全く減速する事無く一気に通過。最後に「それではこの景観をごゆっくりお楽しみください」と締めくくる時にはとっくに橋は渡り切っており、列車は長いトンネルの中を轟音をたてて走っているのでした。

何なんだ?この雰囲気は、何処かとんでもないところに連れて行かれるのではないか。全くこの土地や路線の知識無しで乗車したら恐怖を感じるレベル。村上春樹さんの小説に出てくる猫の国行きの列車があるとしたらこんな感じなのではないか。

トンネルを抜け、明るくなった車内を見渡すと、さっきまで中高生だと思っていた乗客は全員タヌキで、全く理解できない言葉を盛んに喋っていた。そして前方を見るとカワウソが運転席に座りマスコンを握っているのであった・・・
映画ならこんな光景が展開されるのではないかと想像してしまいますが、もちろんそんなことは起きず、トンネルを抜けると徐々に周りの視界は開けてきて、外輪山に雲が低くたちこめるというとても幻想的な里山の風景の中を走ります。

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約30分の乗車で終点高森に到着。途中駅ではぽつりぽつりと下車客がいたものの、ほとんどの乗客が終点高森まで乗り通す感じでした。

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昔はC12が走りまわっていたんだろう構内。

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木造駅舎の中も中高生で一杯、雨の日の混雑した山小屋にでも入った感じです。外に出ても雨、この辺で夕食をと考えていましたが予定変更。8分後の列車で折り返す事にします。

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倉庫?の影にはこんな車両。これは三陸鉄道にいなかったっけ?移籍してきたの??後で調べてみたら同型の車両のようで1998年からここで走っていたんだそうです。

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乗車するのは来た時と同じMT2003Aで1986年製。ほぼ同時期デビューの松浦鉄道のは今ミャンマーで走っているとは何とも凄い時代になったものです。

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帰りはガラガラでまた一番前の席で前方風景を楽しみます。ここは「見晴らし台」という駅、おそらく晴れていたら素晴らしい景色が見られるのでしょう。

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ここは唯一の交換駅の中松駅。

次は「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅という日本一長い駅名、こういう長い駅名は、俗に言う子供につけるキラキラネームみたいに、後になって案内が大変で事業者は後悔しているのではないかと思ったりしなくもない。この駅名を略したような「南阿蘇白川水源」駅というのも別にあってちょっと紛らわしい。

そして次はまたまた長い「阿蘇下田城ふれあい温泉」、駅に温泉があるのか?、駅舎を注意して見ると「ここに温泉あります」みたいな張り紙がしてあったので急遽ここで下車してみる事にします。

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ホームに降り立ってみると神話の国に相応しい素晴らしい景観の駅、線路際には紫陽花も咲いています。

駅の温泉は地元の人で賑わっており、話題はやはり台風が低気圧になって良かったなぁという事。こういった山間部では都市に住んでいる以上に台風は深刻で恐ろしいものなんだと実感させられます。

いいお湯でしたが立野から折り返してくる列車も見たいので早めに上ります。そして湯上りにはビール!冷たいのをグイーッと飲みたい。しかし駅舎内には牛乳や清涼飲料はあるもののビールが見当たりません。恐る恐る番台に並んで座る夫婦っぽい店員さんに聞いてみますと、ちょっとした沈黙の後で静かに首を振り「ビールはありません」との答え。何だか聞いてはいけない事を聞いてしまったような雰囲気でした。その土地にはその土地のルールがあるのでしょう。仕方ありません。

店内のお土産品を見回していると後ろから細々とした枯れた声が聞こえます。「旅の方よ…、タヌキ酒…、飲んでみっかね…?、村の娘タヌキが丁寧に仕込んだ酒じゃけん、よう効くでぇ~」振り返ると老タヌキが店の奥から大きな黒い瓶を引っぱり出しているのであった・・・なんてストーリーをちょっと思い浮かべてみた。

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駅を出て観光マップを見て小学校で習った地理を少し思いだしました。ここは広大なカルデラ地形の中、起点の立野があんなに山深かったのはカルデラの入り口だったからです。熊本空港に置いてあった観光客向けのフリーペーパーによるとここは元々はカルデラ湖で神様が転んで隙間が出来た場所が立野で、尻もちをついて神様が「おらー立てん」と言ったのがそのまま訛って地名になったんだそうだ。面白いではないですか。

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立野からの列車が来ました。ホームには孫をおんぶしたおばあさんが列車を見に来ていて、鉄道写真家にとっては喉から手が出そうなほどの美味しい光景が展開されていたのですが私は上手に撮れず。私も小さい時は母におんぶされて電車を良く見に来ていたそうで、「こんな頃から電車ばっかり見せているとおじさん(←私の事)みたいになっちゃいますよ」と心の中で語ってみる。

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帰りの列車がやって来ました。

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乗客はゼロ。立野から乗る学生さんたちを迎えに行く列車のようです。

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立野の手前の森のトンネルを猛スピードで走ります。ここで神話の国とはお別れ、現実世界に戻るといったところでしょうか。

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最後に乗車するのはキハ47、と思いきやエンジンを交換したキハ147。下車した肥後大津でsuicaを清算。新水前寺~立野、立野~肥後大津分を引いてもらいます。これを忘れると東京に帰ってから「お客さん、新水前寺からですので1万****円の不足ですね…」と大変な事になってしまいます。

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肥後大津から空港ライナーという運賃無料の快適なジャンボタクシーで熊本空港へ。お腹すきました。搭乗券を受け取ってレストラン街へ直行です。しかし最終便出発前のお腹を空かせた乗客が沢山いそうなのにもかかわらず、もうどこもラストオーダー締め切り時間ではありませんか。こうなったら搭乗口前のチンする焼きそばかたこ焼きしかないか、しかしここも食べ物は全部売り切れ、仕方なくスニッカーズを齧りながら(←やってみて激しく後悔)生ビールを飲む事にします。

今日は食に事に関しては運がありません。何なんだ一体。あまりの空腹に紙コップにビールを注ぐ小柄な女性を見て、そのうちタヌキに化けるんじゃないかと妄想までしてしまいます。

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この飛行機で羽田へ、
すでに台風→低気圧となった雲は無く、上空から見えた熊本の夜景は息をのむほどに美しく、今回の旅行は函館の銭湯、貝塚線の古い電車、三井化学専用線、阿蘇下田温泉のビール、熊本空港での食いはぐれ、そして台風、思い通りにならなかった事が多くありましたが、なんだかんだ楽しかったなと余韻に浸れたのでした。

今回の記事の原稿はアルコールを入れながら書きましたのでちょっと暴走してしまいまして、多くの人をタヌキにしてしまいましたがまずかったかなぁ?悪気はありません。

(乗車は2013年6月)

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懐かし写真(2009年) JR東日本 クモハ123-1

新規の乗車がありませんので懐かし写真編をまた始めます。

面白い電車の代表格でもありましたJR東日本のクモハ123-1。いつまでも走っていると思っていた身延線のクモハ123が2007年にあっけなく引退してしまい、こちらも思いついた時に乗っておかないと後悔するだろうと、2009年1月の正月休みの期間に訪問して来ました。

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スーパーあずさに乗って岡谷まで、そしてJR東海の119系に乗り継いで辰野へ、この駅で降りるのもたぶん飯田線に旧型国電が走っていた頃以来なので久しぶりです。お目当ての電車は長いホームにちょこんと停まっていました。

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後ろにはEF64重連(43+60)+タンク車3両という貨物列車も停まっていまして、折角なので写真貼っておきす。この時は原色だったらなぁ~と思いつつ撮ったのですが、辰野駅に来る貨物もこの2カ月後に廃止されてしまいます。こうして見れば4丁のパンタグラフが凛々しいです。

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となりのホームの119系も2012年春に引退してしまいました。

それでは辰野線とか辰野支線とか言われている路線を塩尻に向けて出発です。勾配を登って行く1M電車という事で、素晴らしいモーター音が聞けると思っていたのですが、期待していたほどではなく以外にも静かなものでした。この電車の引退間際に、この電車を記事にしたたくさんのブログを見て知るのですが、MT57という希少なモーターだったようで、静かなのが特徴だったのか!?、それとももっと急勾配だろう塩尻側から乗った方が良かったのかもしれません。

善知鳥トンネルを抜けてしばらくすると視界が開けすぐ右下に本線が見え、ここからがこの路線の一番の楽しみどころのオメガカーブ。30年以上前に急行列車(8両編成のはず)で通った時は、急カーブを曲がる列車に目が釘付けになったものでしたが、今はたった1両なので面白みはほとんど無くなってしまいました。

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塩尻に到着し、乗客が全員(といっても10人ぐらいだったか)降りたところで車内を1枚。私の小中高校生時代、国鉄で2扉ロングシートというのは、オハ41や身延線のクハ47ぐらいで、それはそれは異常な光景…といったイメージを持っていたのですが、今となってみれば普通ですね。

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ずらりと並ぶ銘板。元祖1M電車の鶴見線のクモハ12もこんな風に銘板がたくさん付いていましたっけ。

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ホームを移動して撮影。

1986年にクモニ143-1から改造されて2013年に引退するまで、27年間も辰野塩尻間を走り続けていたとは時の流れは早いものです。塗り替えに経費がかかりそうな、この外装を27年間も維持してきたというのも面白い。辰野支線撤退後は事業用車として残りつつ期間限定でスカ色や湘南色にして各地のイベントに引っ張りダコ…なんて展開も期待していたのですが、残念ながら解体されてしまったようです。

(訪問は2009年1月)

懐かし写真(2009年) 名鉄瀬戸線の吊り掛け電車

2009年1月に辰野支線のクモハ123-1に乗車した後は特急しなので中央本線を更に西へ進み名古屋へ向かい名鉄瀬戸線を初訪問してきました。お目当ては全く名鉄らしくない4000系という電車が(この時)1編成登場し、近いうちに全車引退する事になるだろう吊り掛け電車の6750系です。

地下鉄に乗って栄町駅へ、ちなみにここは名古屋一番の繁華街との事ですが、地上には一度も出なかったので街の様子は全く知ることは出来ませんでした。

ホームで待っていたのは田の字窓の赤い電車、確かこのタイプは吊り掛け車とカルダン車があったはずですが、予習してこなかったので車番を見てもどちらか判断出来ません。とりあえず乗ってみてカルダン車だったら次の駅で降りる事にします。

扉が閉り出発、やったーっ!吊り掛け電車です、それにしてもずいぶん重々しい音だなぁ。地下を走る吊り掛け車なんて乗るのも銀座線旧型車以来かも、各駅停車でしたのでちょっと走ってはすぐ停車の繰り返しなのですが、勾配を駆け上がり地上に出る区間はもう感激ものでした。

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乗車した電車は尾張旭止まりで両側にホームがある線に入ってしまい、足回りが撮影できなかったのは残念でしたが、一発目で1編成しかない6750系の1次車に乗車できたのはラッキーだったかもしれません。

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接続する尾張瀬戸行きの急行はカルダン車の6000系で来たので見送ります。いかにも名鉄らしい可愛いらしい顔のこの電車もそろそろ引退みたいですので、また名古屋に行きたいなと思っているところです。

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栄町行きの吊り掛け車が来ました。買ったばかりの望遠レンズが役に立ちました。

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乗車した6750系の1次車をお見送り。

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次の尾張瀬戸行きは…、来ました来ました、吊り掛け電車です。

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尾張瀬戸に到着、ピカチュウ仕様の6000系電車と並びます。準急となって折り返すようですので、急いで一回改札を出て切符を買い直し同じ電車に乗り込みます。

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栄町側と中間車の車掌室

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隣のホームには6000系

準急との事で、高速運転でさぞ素晴らしい吊り掛け音が聞けるかと思いましたが、各駅停車と変わらないスピードで駅を通過するだけなのは残念。これは準急・急行が運転されるも普通列車の追い越しをしない路線ですので仕方ありません。

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栄町に戻って来ました。

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こちらは田の字窓のカルダン車の6600系。吊り掛け目的でしたので、この時はほとんど無視でしたが、パノラミックウィンドウ・スカート付き・田の字窓・ごつい分散クーラー、私好みとうか、小学生時代の私が想像でカッコいい電車を描くとしたら、正にこんな電車になっただろう素晴らしいプロポーションの電車です。これも吊り掛け車引退の僅か2年後の、2013年春に引退してしまったようです。

(訪問は2009年1月)

懐かし写真(2009年) JR東海 119系

2009年1月、日帰りで辰野支線クモハ123-1名鉄瀬戸線吊り掛け電車を回って来たのですが、名古屋から豊橋まで名鉄に乗車したので、飯田線の両端駅に寄った形になり、119系の写真も撮りましたのでおまけで記事にしてしまいます。

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岡谷から辰野まで乗車しましたクモハ119-5318+クハ118-5311。天竜峡行きですので先は長いです。デビュー当時は旧型国電を引退に追い込んだ憎いやつでしたが、飯田線一筋30年(僅かな期間東海道線静岡地区でも走りましたが…)、非常に地味ながらも大役を務めあげたと言ってあげて良いでしょう。思い返してみるとこの119系、この時が私にとって最初で最後の乗車でした。wikiによるとこの車番はえちぜん鉄道に譲渡されたようでして、今はVVVF車になって走っているとの事。

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辰野駅での119系の交換風景。塩嶺トンネル開通前(これも30年前も昔か~)のこの駅を知っている人には、本線である1,2番線を119系が占めちゃって…という光景です。辰野駅には0番線があって、塩嶺トンネル開通前の飯田線列車はほとんどそこから発着していたような気がします。

余談ですが中学生の時に初めて旧型国電時代の飯田線に乗りに来て、帰りは先頭車のクモハでかぶりつき、これが上諏訪行きで辰野までチンタラ走ってはすぐ停まるの繰り返しだったのが、中央本線に入ってからは一転して高速走行。甲高く激しい吊り掛け音に大感激したのは遠い思い出です。

***

その後は名古屋へ、折角鉄道趣味目的で名古屋に来たので名古屋から豊橋まではパノラマカーの展望車で移動する事にしました。展望席では最前列だけにおっさん4人が並んで座るという異常な光景(私もその一人です)にびっくりしましたが、むさ苦しい空間から解放されて日も暮れた豊橋駅へ。

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初代パノラマカー、クモハ52、80系、かつては数々の名シーンが見られた場所です。これもいずれは名シーンになるのかな。

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両運のクモハを増結した水窪行きの3両編成

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クモハ119-5108。使い勝手の良さそうなセミクロスシートの両運転台車なのですが、どこか引き取り手は無いものか。

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続いて入線した豊川行きの2両編成で、先頭はクハ118-5024。

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豊川側から並んだところを1枚。右のは集中クーラーを乗せていますので、一時はするがシャトルで活躍した車両です。8両編成なんてのも走ったそうで、地味ながらも実は輝いていた時期もあったんです。私もそうですが、ほとんど誰も注目してなかったのではないかと思いますが…

(撮影は2009年1月)
プロフィール

QJ7000

Author:QJ7000
おじさま鉄道ファンの日本の鉄道乗車記録。ふと日本の鉄道全線に乗ってみたいと思うようになりました。未乗区間は4,000km以上もあり、今の生活パターンではおそらく不可能な領域なのですが、路線や車両に愛情を込めながら、少しずつ記録に残しておこうと思います。古い記事順にご覧になりたい方は下の「月別アーカイブ」からどうぞ。
(2013年2月より海外編も始めました。)

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